漫歩/遊歩
「ちい散歩」という番組が好きで、地井武男が出る回はほとんど見ている(彼が出演しない回もあるが、これはさほど面白くない)。これといって名所を目指すわけでもなく、都内近郊のJR、私鉄の沿線の1区間だけを歩き回るという「小さな旅番組」。近年、このスタイルが流行っている。「ぶらタモリ」や「鶴瓶の家族に乾杯」もそういう類いの旅番組だろう。海外や世界遺産を訪ねるという大型旅番組も依然としてあるが、時代の気分からすると、前者のほうに視聴者の関心が動いていると思われる。
こういう漫歩する小さな旅をする人を、古来フランスではフラヌールと呼んだ。日本語訳すれば遊歩者。辞書を引けば、そぞろ歩く者、ぶらぶら歩く者とある。この言葉は19世紀前半に流行った、比較的新しい言葉だそうだ。野崎歓の『異邦の香りーネルヴァル「東方紀行論」』で教えられた。437ページもある厚い本で、一見、学術書かと構えたのだが、めっぽう面白い。昨夜2時頃から読み始めたら止まらなくなり明け方まで読むことになった。
さてフラヌールだが、その言葉を見た時、あれベンヤミンの用語じゃないと思ったら、ちゃんとそれも解説してある。19世紀に流行ったこの言葉をいち早くとらえたのが詩人のボードレールで、その衣鉢を受け継いで現代の思想に組み込んだのがベンヤミンだそうだ。当初はフランス国内の漫歩だったのを、さらに国境を越えて拡大したのがネルヴァルということで、野崎はその代表作『東方紀行』をテキストにして、漫歩の文化を分析している。否、本来の目的はオリエンタリズム再考であるのだが、私の関心は漫歩に向かっている。
そのネルヴァルが最初に「使者」紙に書いた記事が興味深い。
《旅行案内記の順番どおりに名所旧跡を見て歩くなどというのは、私がこれまでいつも、注意深く避けてきたことです。どんな記念建造物や芸術品があるのか、ほとんど気にかけず、ある町に着いたならば偶然に身をゆだねます。》
これって、ほとんど「ちい散歩」の精神じゃない。知らない町で名もない人と触れ合うこと。こういう文化はヨーロッパではわずか200年前に始まったらしいのだと知って驚く。それまでの旅は、用事を果たすことが目的であって、途中の物見遊山などは眼中になかったのだ。そこへ行くと、日本には「土佐日記」の平安時代から遊山・漫遊することは伝統になっている。芭蕉の「奥の細道」の旅だって、歌枕の旅という主目的以外のこともいろいろなことを体験している。なんだ、なんだ。フラヌールの御本家は日本ではないかと、嬉しくなってくる。
ところで、野崎の関心はネルヴァルの「東方紀行」という書物が、なぜオリエンタリズムという偏見を免れているのかということ。十字軍以来、西欧は東方(オリエント)を”劣った”異邦という見方をしてきた。というの論をサイードが立てたことからオリエンタリズムというのは世界の大きな関心となった。二十世紀終盤のことである。ジャスミン革命が起きている地域もその対象だった。本書は現在とかなり結びついた書といえるのかもしれない。
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