過ぎ去らざる過去
幾度も使いながら、腑に落ちていなかった言葉。過ぎ去らざる過去。
90年代頃から、戦争の記憶をめぐって議論が起きたときに常用された言葉だ。主にアウシュビッツの体験や従軍慰安婦問題などの議論で飛び交っていた。なかなか過ぎ去ってくれない過去、分かったようで分からない気分があった。
昨夜、シドニー・ルメット監督、ロッド・スタイガー主演の映画「質屋」を見た。
ソル・ナザーマンはニューヨークの貧民街で質屋を営んでいる。かつてポーランドで大学教授だったが一家は大戦中ナチの強制収容所に入れられ、言語に絶する苦しみの中で妻子は殺された。現在は普通に暮らしているのだが、時折、あの忌まわしい体験が甦る。映像のなかに、ちらっと過去の映像が痙攣のようにして飛び出て来る。映画を見始めたときからそのインサートされる映像の意味が分からずイライラするが、次第にナザーマンの脳裏で発生していることだと分かってくると、彼の心情に移入していく。
機械的に質屋の営業を行うだけで、誰とも付き合わない。心を閉ざしたナザーマン。
ある日、ひとりの女性客が彼に関心をもって語りかけてくる。彼女自身、孤独の傷をかかえたケースワーカーで、自分の体験を通して彼の苦悩を理解しようとするが、ナザーマンはそれを拒否する。そのときに彼が発する言葉。
「何度、(過去を)葬り去ろうと思ったことか。それでも、過ぎ去ってくれないのだ」
正確な字幕は覚えていないが、こんな意味の言葉だった。
このシーンを見ていて、初めて過ぎ去らざる過去という苦悩が分かった。今更と言われそうだが、実感したのだ。嫌な過去だから人は忘れようとする。忘却という機能に期待し時間という薬に希望を託す。にもかかわらず過ぎ去ってくれない過去。
ロバート・リフトンの被爆者を調査した記録『死のうちの生命』を思い出した。リフトンは歴史的なジェノサイドに遭遇した人たちを60年代から調査している。アウシュビッツであり広島である。その広島の調査の結果をまとめたものが『死のうちの生命』。
この人と大江さんが対話する番組を制作したことがある。そのときリフトンは歴史的なジェノサイドに遭遇した人たちにサイキックナミング(心的麻痺)が起きたと語った。心がかじかんでしまったという。心を閉ざしたナザーマンがその例だ。
広島や長崎の被爆者もナザーマンと同じ苦しみを生きているということを、改めて思った。
被爆から65年経ち、生き延びた被爆者もほとんどが80歳を越える。出会えば、穏やかなおじいさんであったりおばあさんであったりする。サイキックナミングからも脱したかのようにみえる。あの悪夢は遠い日のことになったのだろう、そうあって欲しいと、他者は希望的な推測をする。
だが、けっしてそういうものではないだろう。人知れず眠れない夜に、過ぎ去らざる過去が襲っているのかもしれない。他者である我々は想像力を最大にして、感じとらねばならない。
2日経った3月10日、「原爆の図」(小沢節子)を読んでいて、あることに気がついた。人が記憶を召還するのでなく、記憶が人に襲ってくるのだ。到来してくるのだ。その瞬間こそ「根源的な暴力性」が奮われるのだということを。
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