定年再出発 |
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冬の終わり
風は冷たいが、どこかから沈丁花が匂ってきた。春遠からじ、だ。 昨夜、冬ソナの最終回を見終わった。1月末からおよそ1ヶ月かけて、10回目の視聴となった。回数を重ねると、作品というものはボロを出すものだが、この作品については小さな瑕疵があっても気にならない。2004年放送当時、ドラマ関係者からずいぶん技術的な瑕疵を責められたことを思い出す。カメラが揺れて画面がブレているのを平気で使っている、マイクの見切れが残っている、音楽処理がアバウト、などなどである。それを聞いて私は、「それが、何か?」と思っていた。そんなことなどどうでもいい。ドラマが生きていればいい。日本の当時のドラマは絵作りとか音楽の出し入れのタイミングとか、衣装とか、色使いとかばかりこだわっていて、物語の勢いとか滋味のあるセリフとかが失われていて、ドラマの醍醐味がまったく消えていたから、私は専門家といわれる人たちの意見に耳を傾ける気にならなかった。 20話、最終回。別離から数年経って、「不可能の家」で再会を果たす場面。目が不自由になったチュンサンの「どなたですか」と問いかけるシーン。絶句して見つめるユジン。幾度見ても感動する。ただし、この場面の絵姿だけがいいと言っているわけではない。その前の、島に二人が別々に訪れているところからの盛り上げが実にうまい。さらに言えば、18話あたりから最後に向かっての大きな流れの作劇術に感心する。この優れた演出を、日本のドラマ関係者たちは長く軽侮してきた。テレビドラマのノウハウは先進地のこちらにあるのであって、後進のアジアはそれを真似していると見ていた。そういう声をたくさん当時聞いた。 「なぜ取り調べにはカツ丼が出るのか?」というテレビドラマの分析を専門にしている人が書いた新書にも、先に述べたような偏見が混じっていた。冬のソナタの魅力は何かということに対して、著者は「新しくない」ことだという。言外に、冬ソナで使われた作劇は、もっと前に日本でもやったということを意味している。視聴者から寄せられる声は「懐かしい」というフレーズが多かったことが、それを証明していると言わんばかりの筆致だ。この見方に、違和感をもった。この新書はドラマはベタな表現で形成されているということを眼目にしているので、冬ソナもその例だと決めつけたかったのだろう。 冬ソナのヒットを支えた30代以上の女性が、ずっと昔の80年代90年代に見た、日本の少女マンガやテレビドラマのベタな物語を、冬ソナは踏襲していると著者は考えている。だから、このドラマを見たときに昔を思い出して懐かしいと感じたというのだ。 視聴者から届いたはがきや手紙を私は、「冬のソナタにようこそ」という番組を作るにあたって膨大な数読んだ。そして、そこにある「懐かしい」という声は、かつて見た(日本の古い)ドラマのようなという意味ではなかったと感じている。そういう声はせいぜい40代以下の人たちで、例えば、「キャンデイ・キャンデイ」のようだ、「赤いシリーズ」みたい、という人が少数いた。ほとんど30代である。 だが、大半の、特に年配の大人たちの声は、純愛を一途に信じていたあの(自分の青春)時代が懐かしい、帰りたい、と言っていたのだ。ドラマの古臭い手法が懐かしいなどという声ではなかったのだ。 80歳の女性が書いていた文面、「私は恋する80歳の乙女です」という言葉が忘れられない。 どうも、冬ソナを軽んじたり無視したりする人たちは、日本でも昔流行った手法ですよと言わんばかりの優越意識が垣間見える気がしてならない。私は、これはユン・ソクホという希有な才能が打ち立てた「手法」だと考えている。そのことを、いつかきちんと証明したいと願っている。 さて、冬ソナ最終回の副題は、「冬の終わり」。アメリカに旅立つチュンサンが別れを言いにサンヒョクの勤めるラジオ局にやって来る。ふたりは屋上にあがって、冬の空が終わって春の空になっていくことを惜しむ。「この国の冬の空が好きだった」というセリフは、3月2日の今こそ相応しい。こういうさりげないセリフのひとつひとつが本当に素敵だ。 来られた記念に下のランキングをクリックして行ってくれませんか
by yamato-y
| 2011-03-02 18:52
| 冬のソナタを考える
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