風荒き町を過ぎて
痛みを感じるということは生きている証拠、というような言葉を今朝のアサイチで知った。おばあちゃんの知恵袋という先人の知恵の言葉。なにげない通俗的な言葉だが、今の私には沁みる。
一昨年の大病をして以来、急激に健康に不安を抱くようになり、痛みに対しても敏感になっているからだ。
先週、関西で、研究会に出たり日本画研究家を訪ねたりで、いろいろ動き回ったせいか、体の芯に鈍い疲れが残っている。だが、週明けはロケの現場からのクレイムや新しい企画の推敲などがめじろ押しで一息つく暇もない。バタバタして月曜の夜をむかえた。7時半には仕事を「切って」、渋谷駅まで。途中、居酒屋に寄って寒ぶりを肴にして熱燗2合を飲む。体が温まる。最近はもっぱら一人酒。おもむろに図書新聞を取り出し、一面の特集記事「保田與重郎の『近代の否定』とは何か」を読む。話者は、フランス現代思想の前田英樹。なぜ彼が保田を語るのか、興味半分で活字を追う。彼によれば、保田は民族主義者(国粋主義者というニュアンス)というクリシェでばかりで、その真意が伝わっていないという。そのなかで面白かったのは、70年代半ば、全共闘たちが保田を読むことが格好いいと思っていた時期があったということ。そういえば、「日本の橋」という彼の著作を購入したのも私の場合も74年だった。あの時期、彼の名前が突然浮上したことがあったことを思い出す。たしかに、70年に三島が自決して以来、若者の間で日本の伝統とは何か、のような議論がベトナム戦争反対の声と並行して行われた。
もう一つの記事は、先日手にした『フレンチセオリー』の書評だ。東経大の桜井哲夫氏が書いていた。この人の文章は分かりやすい。フランス現代思想が、いかにしてアメリカに広がっていったかをこの書は解き明かしている。だが、少し欲張って、波及を南米から日本まで広げているぶん散漫になっているのではないかと、桜井が指摘していたが、同意する。この書で気になったのが翻訳の晦渋なこと。悪訳と言いたいぐらいだ。でも、この桜井書評に触発されて、『フレンチセオリー』を再読しようかなという気になった。
8時に店を出る。冷たい風のなか家に向かう。井伏鱒二が「荻窪風土記」のなかで、荻窪を風の荒い町と書いていたことを思い出す。
夕飯をとった後、太田治子の新刊『時こそ今は』を読む。主人公が私と同世代を設定されているので感情移入が早い。すぐ作品世界にのめりこむ。半分ほど読んだところで、10時となり、「プロフェショナル」が始まったのでそれを視聴する。渋谷のデバートの食品売り場を変革しようとする熱血サラリーマンを描いている。頑張って取材していることは分かるが、もう少し人物像を大胆に切り出してほしい。今ひとつ、主人公の熱血ぶりが伝わってこない。ワイドニュースの特集「デパ地下戦争」の現象紹介との差異が見えなかった。この番組の前身である「プロジェクトX」からの呪縛は解けつつあるが、この「プロフェショナル」ならではの切り口の鮮やかさを私は要求したい。むろん、限られた時間とお金のなかで、制作担当者は必死で戦っていることを認めたうえでの、やや過度な要求であるということを知っててのことではあるが。
他人様の番組を批評するのはたやすいが、いざ自分でやってみると、どれほど多くの困難に遭遇することか。取材に合意して、撮影を始めたものの、途中で気が変わる出演者とか、アポイントを取っておいたにもかかわらず、実際にデバって行くと取材を拒む人とか。泣きたくなるようなトラブルが続出する。それを一つ一つ整理して、少しずつ歩を前に進めていく。それがドキュメンタリーのやり方。
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