影の国
[いつまで、死んだ人のことを思っているのですか。
こんなに世界は明るく輝いているのに。]
上のセリフは、言わずと知れた冬ソナの一節だ。ミニョンが、初恋の男を忘れないでいるユジンに向かって発した言葉。
2005年の冬ソナ特番のときに、どれほど繰り返し聞いたであろう。あの当時も、良いセリフだと分かってはいたが、これほど人の心に染みる、月並みな言い方をすれば「珠玉の言葉」だったと思いはしなかった。この言葉だけ抜き出しても、その珠玉ぶりはなかなか分かってもらえない。何と言っても、ドラマは文脈だから。ある流れのなかで、その言葉の重みをもつのだ。その流れというものが、冬ソナは実によく出来ている。
今こそ、この言葉を私の古くからの知人に伝えてあげたいと思う。
私の知人は、数年前に連れ合いを亡くした。子供のいない夫婦であったから、夫が末期のガンと知ったときから、妻である知人はその運命を呪い悲しんで来た。夫が死ぬ前から、その離別を悲しみ、死後もずっと悲しんで来た。あなたが逝くとき私も連れて行ってほしいと哀願したこともあった。それを聞いた連れ合いは激怒したと、淋しそうに残されたその人は電話で私に告白した。その知人は、一時は行方が不明になったこともある。後追いを計ったのではと私は狼狽えて四方を探した。なんとか所在を探り当てではみたが、その人はすっかり人格が変貌していた。直に会うことを避け、住所も教えず、一方的に向こうからケータイに架かって来るという関係が、ここ数年続いている。それでも、連絡をくれるぐらい恢復したと、少しだけ安堵しているが。
2月に一度ぐらい、電話が入る。
どうだろう、もうそろそろ会いませんかと私が呼びかけても、まだそんな心境になれないという。もし昔の仲間と顔を会わせたら、今の私はひとでなしになってしまう。見れば、なぜこの人たちが生きているのに自分の連れ合いだけがそんなに早くに召されたのかと、天を恨みたくなりますから。と、その知人は電話の向こうで泣く。この人はいまだに影の国に住んでいる。
この出来事を体験してから改めて冬ソナを見るとドラマの見方が少し変わった。死んでしまったチュンサンのことを思い続けるユジンの心の傷が前にも増して共感するようになった。チュンサンを思い起こして、すぐに涙ぐむ場面が陳腐でなくなった。いや、よりリアルに思えてきた。
「忘れたいと思っているのに、此の目がチュンサンの姿を覚えている。この心がチュンサンの言ったことを覚えている」というユジンの言葉が私の胸をうつのだ。
連休の初めから見始めた冬ソナは、今第9話「揺れる心」まで来ている。スキー場でアクシデントがあって、ユジンがサンヒョクに婚約解消を申し出る回だ。ユンピョンスキー場の美しい風景が、物語をさらに神話化させている。
今回の視聴で、これまでと違う見方になったのは、サンヒョクの表情や動きへの注目だ。彼を演じたパク・ヨンハさんが一昨年だったか自死したということを念頭において見るせいか、これまで見たサンヒョクとは違う、影の薄い若者に見えてならない。彼もまた影の国の住人であったのだろうか。
このスキー場の映像を見ながら、ユンピョンまでロケに行ったことを思い出した。5年前の2月末。ちょうど冬が終わろうとする季節だった。春川には雪はなかったが、ユンピョンにはまだたっぷりあった。だがシーズンも終わりということで、スキー客は疎らだった。夜になると、寒さは厳しく、とても山の上まで上がることは可能ではなかった。が、スキー場の協力を得て、降雪機による雪降らしの場面は撮影した。その光景を見守りながら、雪のなかで震えていたことを思い出した。
ところが、このスキー場でのシーンは、ある事情が起きてすべてお蔵入りとなる。私には苦い思い出だ。
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