思いがけないこと
夕方5時半過ぎ、パソコンに向かって4月から始まる美術番組の取材項目を懸命にチェックしていた。ふと気がつくと、周りに3人の社員が立っていた。
社員歴10年から15年の中堅社員たちだ。私のデスクを囲む3人。異様な雰囲気で一瞬たじろいだ。
「何かあったのか」と聞くと、年長の男子社員が「おめでとうございます」と声をかけてくれた。
え、何のことだ。あとの二人もにこにこしている。
女子社員が、花アレンジメントの篭を差し出した。「今日で最後ですよね。おめでとうございます」と声をかけて、黄色い花の篭を渡してくれた。もう一人の男子社員がクッキーの箱の包みをくれた。
あ、そうか。63歳の誕生月の月末が、この会社の社員として定年にあたる。1月19日生まれの私は、1月31日が「現役」最後となる。第2の定年の日だったのだ。月曜日の忙しさのなかで、すっかり忘れていた。
この会社の社員歴は5年だが、出向していたときから数えると、延べ12年ほどになる。10年前には、責任者として私はばりばり若手をしごいた。
その頃の若手は、今では中堅だ。みな、一本立ちしていい仕事をやっている。
その当時の人たちが中心になって、私の「定年」を祝してくれて、花アレンジメントとマカロンの詰め合わせを贈ってくれたのだ。
予期していなかったから、感激した。
本日が節目の日であることなど、私自身が忘れていたぐらいなのに、わざわざギフトまで準備して祝福してくれるとは。
なんだか、卒業式の教師のような気分になった。
昔、新人のディレクターだった人たちから、定年になっていく私が無事に勤め上げたことを祝ってもらっているのだ。10年前当時は、新人たちを一人前にするために最初が肝腎とがんがん責めてしごいた。今、番組作りの喜びを教えておかなければいけないのだと。
番組作りは楽しさだけでない。作り上げて行くなかでの苦しさもたしかにある。その二つは分ち難く、私はそれを「楽苦しさ」と呼んだ。
それを伝えた若手は今ではすっかりベテラン。
3人が去ったあと、花篭にあったカードを開いた。〈今までお疲れ様でした。これからも私たちをかまって下さいネ〉と記してある。パソコンに向かってひとりにやにやした。やがて、ベテランの女性プロデューサーのOさんもやって来て、祝福の声をかけてくれる。少し照れる。彼女とは、先年イギリスウェールズまで河合隼雄さんの定年の旅を取材した仲である。「いやあ、思いがけないことで少し照れるなあ」と苦笑い。
一度、河合さんの奥様とも久しぶりにお話などしたいよねと、同意を求めると。
「私はときどき連絡をとっています。電話の声は相変わらず大きな音量で、私もだんだん腰が曲がって来てとおっしゃるのですが、お元気そうな声です」と、奥様の近況を教えてくれた。河合先生も亡くなられて4、5年経つのか。生きておられれば80を越えている。私も第2の定年になるはずだ。
仕事を上がったのは午後7時半。私は花かごとクッキーをかかえて、弾むように渋谷駅まで歩いた。厳しい寒さも苦でなかった。見上げると、東急デパートの遥か上空に大きくまたたく星があった。
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