定年再出発 |
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瀑雪の思い出
今年は北陸の雪が多い。高岡では例年の倍だとテレビが報じていた。 昭和37年、38年、39年の頃雪はとてつもなく降った。なかでも昭和38年はひどかった。毎日雪だった。 青空を見たことがない日が20日以上つづいた。38豪雪という言葉が頭から離れない。 昭和37年もかなり降った。私は中学校2年生だった。 とにかく町はすっぽり雪のなかに埋もれた。中学校の校庭も1メートルほどの雪で覆われた。校舎のそばは日陰で、おまけに屋根からの雪も重なって特にうずたかく積もった。休み時間になると、よく2階の窓から下の根雪に向かって飛んだ。窓枠に足をかけて、えいっと声をかけて飛び出していく。級友がはやし立てる。高所恐怖症のはずだが、全然怖くなかった。風を切って空中を落下するときわくわくした。そして雪のなかにずぼっと埋まる。両手をついて雪から体を起こすと、ほてった頬に雪が気持ちよかった。 中学校の教頭はがみがみとうるさい親父だった。怖かった。谷口といったその教頭は、怒ると月形龍之介のような悪相になった。いつも校内をまわって説教を垂れていた。 廊下で馬跳びをやっていてガラスを割ったことがある。「ガラスが割れました」と職員室に行くと、谷口がすぐ立ち上がって来て、問いただした。「今、何と言った。ガラスが割れたって。」 私は緊張して、うなづいた。 「馬鹿者。ガラスが割れたではなく、ガラスを割りましただろ」といって、頭をごつんとやられた。 音楽の時間のことだった。授業が始まる前に、やはり2階の音楽室から1階の雪に向かって跳んだ。落下しながら、1階の教室を見ると、そこは教員便所だった。谷口が用をたしていて、私と目があった。 (しまった)と思ったが、もう遅い。雪のなかでもがいていると、谷口がやって来て、「ちょっと、職員室まで来なさい」と声がかかった。 その日、私は音楽の授業に出席することはなかった。職員室で1限中叱られていた。 なぜ、教頭が私のなかによく現われるのか忘れていたのだが、今思い出した。私の担任は病気で長く休んでいたのだ。教頭は代理で私のクラスの授業を受け持っていたのだ。 宮本円といった担任は、大学を出て5年ほどの若い教師だった。常宮という古い港の由緒ある神社の次男だった。神主の資格ももっていたと思うが、背が高く、宝田明のような甘い面立ちでスマートな先生だった。学生時代に演劇をやっていたとかで、放送クラブの顧問をやっていた。 あるとき、ラジオドラマを作るから、お前も出てみないかと声をかけられたことがある。お調子者だから、芝居なんてこともむいているとでも思ったのだろう。出ることは出たが、台詞を読むのがえらく気恥ずかしかった。宮本が演技を指導して、私がおずおずとセリフを読むと、声がとんだ。 「違う。もっと剽軽なくだけた調子で」。女生徒の前で演ずるなんてとんでもない。恥ずかしいと下を向いた。 以来、宮本から声がかかると逃げ回っていた。 夏休みが終わって、2学期が始まっても、宮本は出て来なかった。悪い病気になって、金沢の大学病院に入院していると聞いた。 野球をやっていて、睾丸にボールが当たり、そこが腫れて悪い病気になったらしいと、クラスメイトが教えてくれた。不運な奴だなあと同情はしたが、それほど危機感もなかった。 あるとき、クラスのなかから代表を選んで、担任を見舞いに行くことになった。学級委員のほかに、私にも声がかかったが、「オレはいいよ」と固辞した。 見舞いから帰って来た学級委員に聞くと、担任はやせ衰えて淋しそうだったという。なんだか、心が咎めた。 その年の冬、大雪が降った。 春が近づく頃、宮本は死んだ。 クラス全員で葬式に参加した。葬儀は神式だった。榊を渡されて、亡骸の前の祭壇に供えた。 「宮本先生のお墓はなく、神社の境内にある大杉にいるのだって」と誰かが噂していた。 敦賀半島のなかほどにある常宮。海のそばの神社の森を思うと胸が熱くなる。 あの時、私はどうして見舞いに行かなかったのか――。 来られた記念に下のランキングをクリックして行ってくれませんか
by yamato-y
| 2011-01-29 09:15
| センチメンタルな気分で
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