唯に血を盛る瓶ならば
不覚にも昨年後半は、病のことに心囚われた。あちこちに起きた症状に、老いの怯えのようなものを抱え込んだ。
胃、甲状腺、前立腺と、三方責めにあったせいもあるだろうが、連鎖する症状におびえた。読書するより映画のDVDを見るほうが多くなり、制作する番組も本数が減った。得意分野だった教育テレビのドキュメンタリーの枠にいくら挑戦しても、なかなかいい結果が出なかった。なにか空回りしている気がした。収穫は、「若き宗家と至高の三味線」。人と人との関係性を描くことに新しい境地を開くことが出来たかなと思うほどで、他にはなかなか結果が出なかった。これも、病のことをたえず考えていたからだろう。
今朝、瞑想していてふと思った。人間は死んでいく存在、死に向かって生きて行く存在。その方向を抗うことはできない。若い頃はその低音が聞こえなかったが、老年期に入りまわりの音がやんで、その通奏低音が前面に出てきた。病へのおびえはつまり死に対する恐怖か。
新年初めはお祭り番組に振り回された。自らの企画でないのだが、バックアップという仕事で追われた。だが不本意な気分に陥ったのも、流れに乗ることができなかったからか。まだ病のことをぐずぐず考えていたせいか。
ところが、一昨日あたりから流れが変わってきた。文楽の企画がどんどん動きだした。戦争画の取材があれよあれよという間に急展開してきた。これに加えて、来年度に10本制作する予定のアート番組の企画が胎動してきた。なかでカラヴァッジオとピカソの企画はいい線が出現してきた。連日の多忙が、逆に体を叱咤して身内から闘志のようなものが湧いてきた。
今年は番組の本数が過剰になるかもしれない。体がもつだろうかと不安を今からもつのはやめた。やれるかどうか、なるようになれだ。健康だけを考えて縮こまった生き方ではたして満足が出来ないなら、当たって砕けろ。「南下軍」の歌を思い出した。
母校、四高の応援歌だ。戦前、金沢の四高は京都の三高と定期戦を春秋に闘った。金沢から京都へ下るときに、鼓舞する歌が、「南下軍」。
♪唯に血を盛る瓶ならば五尺の男児用を無しを。
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