定年再出発 |
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ミケランジェロ
昨夜も家にたどり着いたのは午前1時。このところ番組仕上げの作業で遅くなることが多い。おそらく、今夜もテッペンを越えるだろう。なにせ、相手はルネサンスの巨匠ミケランジェロ。一筋縄ではいかない。そこに加えて、制作体勢があまりにタイトで、極少部隊の少人数なのだ。 90分で、ビデオ構成のこの類の番組なら、メインのディレクターのほかに3人ほどアシストが付くものだが、今回はひとり。たったひとりで映像の編集をしたり、ナレーションのコメントを書いたり、吹き替えの原稿を作ったりしている。おのずと、オーバーワークとなる。彼女は一昨夜も家に帰らず、徹夜となった。まあ、どんな番組でもそうだが、楽に作らせてくれるということはない。必ず、剣が峰に一度は立たなくて、番組というものは出来ないものらしい。 バチカンのシスティーナ聖堂の天井画にミケランジェロが挑んだのは30代半ばだった。まだ働き盛りである。だから、4年かけて一人で描きあげるなんて芸当が出来たのだろう。それでも、あの大壁面をひとりでフレスコで描くなんてことは、とても人間ワザとは思えない。元来、彫刻家が本業で、画歴はそれ以前に「聖家族」ぐらいしかなかったミケランジェロに、時の教皇ユリウス2世は天井に、教会の権威を示すような壮麗な作品を描けと命じたのだ。 若くしてピエタやダビデ像を作り上げて名を挙げたミケランジェロに、教皇は目をつけ、当初は自分の墓所を作れと命じた。ミケランジェロの彫刻の才能を生かした華麗な墓を所望したのだ、教皇は。ところが、途中から気が変わり、ミケランジェロに天井にフレスコ画を描けということになった。フレスコなんてことをやったことがないミケランジェロはむくれた。やりたいのは彫刻であって、画ではない。おまけに教皇は画材費も潤沢にはくれない。とくれば面白くないにきまっている。とうとう、彼は現場から逃げ出すということもあったらしい。それでも、とにかく4年かけて、日夜、天井を見上げて絵筆を執りつづけた。最初は4人の助手もいたが、フレスコの技を覚えると、それらもすべて追い出して、たったひとりで描くこととなった。 ミケランジェロが弟子を追い出したのか、弟子たちが出ていったのかさだかではないが、おそらくチームワークなんてもっとも不得手とするのがミケランジェロだろう。心気症的情緒不安定で、短気で独善的で、かつ不寛容な人柄とくれば、寄り付く人もいない。ところが、こんなミケランジェロを愛したのが教皇ユリウスだ。彼は戦争ばかりする「恐るべき教皇」だったが、ミケランジェロの才能と人となりを愛したようだ。当初、天井には12人のキリストの使徒を描いてほしいとユリウスは願ったが、ミケランジェロはそれでは凡庸だと主題を変更する。それをユリウスは立腹するわけでなく、変更した主題を許す。これほど、教皇はミケランジェロを気にいっていた。 たしかに、天才は天才を知るということかもしれない。凡人では嫌になるような強引傲慢なミケランジェロの性格も、織田信長のようなユリウスならば愛することが出来たのかもしれない。 今回、この番組を作っているうちに、昔読んだ岩波新書の「ミケランジェロ」をもう一度読みたくなった。著者は、羽仁五郎。さらに花田清輝の「復興期の精神」もだ。林達夫もミケランジェロについて何か書いていたはず。そうだ、杉浦明平もあった。これらすべて大磯の書棚にあるはずだから、イチ段落したら、読むことにしよう。 でも、ミケランジェロの晩年を考えると辛い。天井を描いてから30数年後に、正面祭壇の壁に彼は「最後の審判」を描くことになる。60を越え、老年の域に入っていた。天井と比べて、圧倒的に画が暗い。緊張している。 クライアントであるクレメンス教皇の指示があったにしろ、なんとも画風は否定的なものとなった。この出来事が、彼の苦しい晩年を示唆するように、辛い人生を送ることになったのだ。 さて、この番組の放送予告を記しておこう。 1月15日(土)アート・サスペンス「バチカン・シークレット~ミケランジェロの謎を追え」 夜8時から9時半まで。NHKハイビジョン放送にて。 来られた記念に下のランキングをクリックして行ってくれませんか
by yamato-y
| 2011-01-05 09:13
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