患者の代表
日曜日、高輪の大きなホテルの会場で、看護学会が開かれた。主題は、「未来にはばたく看護―新しい価値の創造」。全国から数百人の看護師が集った。そこで開かれるシンポジウム「社会が求める看護実践力とは」に私は患者の代表としてパネリストとして参加した。
これへの参加を仰せつかったのは半年前だ。胃がんの手術を受けて、その主治医から年末に開かれる看護学会で、患者の代表として意見を言ってくれませんかと、誘いを受けた。たしかに、その話があった頃、私は看護師たちに対して深い感謝の念があった(むろん、今もあるが、当時は本当に感謝していた)。癌の手術と聞かされて、いささか落ち込むことがあった私に、ナースたちはカラッと対応してくれて、おまけに体の回復まで面倒みてもらった。その恩義が忘れられなかったから、パネリストでも何でもやりたいと、私は思ったのだ。
いったん、パネリストの役目を引き受けたものの、私が患者、クライアントの代表として経験を語るにふさわしい人間なのだろうか。その点で迷いが出た。2ヶ月ほど悩んだ。
そして、昨日の本番。予想していた以上に盛大なもので、会場に入ったときから気後れした。シンポジストは、他に医師の栄養治療センター部長、医療ジャーナリスト、看護師長の3人。みなプロばかり。そこで、語られるのは栄養治療の絶大な効果であったり、欧米の終末医療のノウハウだったりして、内容が深い。
患者体験者としての私は何を語ったらいいのだろう。3人の間に挟まって、一度か二度ほど発言すればいいだろうぐらいに思っていた私があまかったことを、会場に行って知る。
司会者から、各シンポジストはシンポジウムの冒頭に一人ずつ15分ぐらいの問題提起スピーチを行うようにと指示された。その文脈で、大会の冊子に書かれた各シンポジストたちの主張を読んでみると、きちんと論点が表出されている。私のだけが、手術をして数日間の悶々とした体験を語っているにすぎない。論文でもなければノートでもない。エセーだ。そんな私にスピーチの課題が出されて青ざめた。しかし、私だけ報告しないというわけにもいかない。何か、気のきいたことを言わなくてはならない。
何がいいか。時計を見ると、開始まで30分しかない。慌てて脳裏のポケットを探る。病気を、私自身の仕事と結びつけるエピソードはないか。必死で考えた。
挙句、大江さんの広島体験から学んだ出来事を紹介することにした。「病気という物語」という副題で話をすることにした。大急ぎで、ネタの事実関係を頭のなかで洗いなおす。
話の流れはこうなった。自己紹介→大江さんとの出会い→「ヒロシマノート」の出来事→物語とは→冬のソナタから学んだ物語→私の胃がんの物語。所要時間、およそ12分。声がうわずるのが自分でも分かった。なにせ、ほとんど女性ばかり。しかもツワモノばかり。
内心、こんな俗な話をしたら笑われるだろうなあと自己卑小しながら語った。
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