硬化
エリック・ロメール以外、最近見た映画はまったく心に響かない。昨夜も2本見たが、ストーリイもうまく掴めず、途中何度もうつらうつらした。映画が悪いのか、私の認知の能力が落ちたのか。はっきりしたことは分からないが、理解、味わう力が落ちてきている気がしてならない。肺がんになると、肺の一部が石のように硬くなる石灰化という現象があるそうだが、私の脳内にも硬化が起きているのだろうか。と、思うと不安になってくる。
読書においてはさらにひどい。何を読んでもすんなり頭に入ってこない。せいぜい、歴史書の類しか読めない。仕事がらみで読んでいる真珠湾資料ぐらいは読みこなせるが、評論やエッセーだけでなく、小説においても物語の筋だけでなく表現を味わうという快楽などまったく消えていることに愕然とする。
例えば、ドイツの若くして亡くなった才能、ゼーバルトの『目眩まし』の「ベールへ」「異国へ」など読んでも字面を追うだけで楽しくない。古井由吉の『白暗淵』もなんだか意味が分からない。せめて伝記でもと思い、『ブーバーを学ぶ人のために』を手にとったが、まったく頭が動かない。いささか焦った。(どこかが壊れているのか・・・・)
口述原稿ならと思って、加藤典洋の「戦後を渡って明治のなかへ・石橋湛山」を目にするが、ねちねちした前説に飽きた。根気が続かない。
陽気もいい日曜日。書を捨てて町に出よう、という気にもならない。これって、あの老人特有のやばい症状の初期症状ではないだろうな。と、自分で妄想して怯えている。
対談本ならどうか。おしゃべりな山口昌男なら少しは気が紛れるかと、「はみ出しの文法・敗者学」を読むと、少し食指が動いた。西園寺公望の側近、光妙寺三郎のエピソードが出てきて、やや読む速度が増した。西園寺や光妙寺は、「パリコミューン」を目撃しているのだ。幕臣で、明治政府からスポイルされた人々のなかには、パリコミューンに共感した人たちが幾人もいたのだ、などということに少しだけ関心が動いた。(ああ、よかった。まだ興奮するだけの知力が残っていた)
読書に飽きて、パソコンをうっていたが、それにも疲れて、ベランダの日なたに出て目を閉じて深呼吸したら、れんげの匂いがした。春の田んぼの匂いだ。錯覚だろうが、懐かしかった。ふるさとの敦賀の街中にまだ田んぼがあった頃の、農家の傍で嗅いだ匂いだ。
84歳で死んだ詩人天野忠の「私有地」という詩。
むかしという言葉は
柔和だねえ
そして軽い・・・・
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