大人になっても
夜来の雨があがり、すっかり秋晴れとなった。風が強いから陽射しがくるくる変わる。高い空には雲が流れていく。湿度も低くまさに「爽やか」な陽気となった。寝床から高窓を眺めていると、棧のあたりを柱の影が移ろう。強い風のせいだ。光の泡が部屋の内外を行ったり来たりして、見ていて飽きない。
午前のツヴァイクの森を降る。森の中央にある大ケヤキがはらはらと葉を落とす。「もう終わりだよ」と告げるように葉っぱたちはゆっくり山道に落ちていく。草むらにはススキの銀色の穂が風に揺れ、石蕗(ツワ)の黄色い花が道沿いに並んでいる。紋白蝶がはかなげに飛翔している。まもなく終わろうとする命の最後の営みであろう。鳥の囀りがせわしない。
坂を下りながら、私はふかぶかと呼吸する。こんなにゆったりとした気分はここしばらくはなかった。
麓まで降りると、正面の海に江ノ島がくっきりと浮かんでいた。水面はエメラルド色に輝いている。大気がよほど澄んでいるのだろう。鎌倉稲村ガ崎あたりまで見はるかす。駅へ続く道の大ガード。そばの大銀杏が全身黄葉していた。何万枚という黄色の葉をまとった銀杏は風と戯れている。万朶の葉はまだついている。
春夏秋冬、大磯はいろいろな顔を見せるが、秋が一番だと思う。
昨夜ネットで見つけて以来、ずっと脳裏を離れない歌がある。30年前に流行った「初恋の丘」という由紀さおりの歌だ。作詞は北山修。冒頭から、今朝の気分とシンクロする。
♪まぶしく輝く青い大きな空も
ときどき私のものじゃないふりをする
♪大人になってもひとりぼっちはつらい
初恋の丘にもういちど帰りたいな
字あまりの歌詞を美しいメロディがきちんと支える。
作曲者の名前を見てかすかに驚く。ジャズピアニストの渋谷毅だ。彼は昔からこども歌のいい曲を書いていたから驚くことではないのだが、彼の辛い境遇を考えると、かくまで美しいメロディを書き上げることにやはり驚かざるをえない。作曲家の福田和禾子さんは渋谷の同級生で、その才能を前からたたえていたことを思い出す。福田さんは渋谷の健康のことをいつも心配していたが、その福田さんが先年60歳にもならない前に死去した。渋谷は元気なのだろうか。繊細な彼が生き延びるということは至難だ。
ここだけの話だが、私は戦後の日本の歌のなかで、中村八大と渋谷毅が最高のメロディメーカーだと信じている。
そして、北山の歌詞カードが沁みる。
♪お嫁にいくことだけが道じゃないけど
やっぱりひとりじゃ生きてゆけないのかな
40年前の金沢時代を思い出す。当時は、女友達の半分は見合い結婚だった。気に染まない縁談を親から押し付けられて、こんな言葉を発した人がいた。彼女も今では老境にある。その後の人生はどういうものであったのだろう。少し聞いてみたい気もするが。
こうして、午後0時15分大磯発東京行きに乗る。祝日とあって、伊豆からの帰り客で車内はやや混んでいた。窓際に席をとってこの記事を書いている。
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