100万回も
佐野洋子さんが死んだ。数年前からガンの宣告を受けて闘病していたが、ついに逝ったのだ。佐野洋子―絵本作家にしてエッセイスト、小説家。享年72。私はこの人に2度会ったことがある。一度は30年前にラジオ番組で、二度目はつい半年ほど前の初夏である。
最初に会ったのは、「100万回生きた猫」という名作をものした気鋭の絵本作家ということで、ラジオスタジオで話をしてもらった。当時、私は新米のディレクターで10歳年長のサバサバチャキチャキの佐野女史には頭が上がらなかった。「お好きな音楽は」と聞くと、流行歌。好きな歌い手はと聞けば、布施明。食えない答えばかり。本当なのかチャカしているのか、分からない。最初の結婚生活の頃だったはずだが、仲のいい女編集者と遊ぶ話ばかりしていた。打ち合わせに来た私を無視して、その編集者と「どこそこのケーキはうまい」とか「歌舞伎役者の誰それは色気がある」とか関係ない話ばかりしていた。こんな人が、あのせつない猫の物語を描いた繊細な人とは到底思えない。不良でガラッパチな姉御という印象をもった。今考えてみると、佐野さんは照れていたのだと思う。公共放送の硬い番組の担当者がインタビューに来るということでかまえていたにちがいない。
今思い出したが、当時佐野さんはバイクに凝っていた。スリムで長い脚を誇示しながらバイクに跨る佐野さんは颯爽としていた。
その後、佐野さんの人生は大きく変化する。エッセイストとして頭角を現し、ついに小説まで書くようになる(実は小説ではなく、ノンフィクションなのだがあまりに面白いので小説と言いたくなった)。独特のガラッパチな語り口の八方破れスタイルは評判をとる。語る内容もしだいに深みを増していった。母との相克を告白した物語「シズコさん」は、軽い語り口とは裏腹の壮絶な人生論であった。
私生活も変化し、詩人の谷川俊太郎氏と同居する。二人の噂を聞いたとき、あの佐野さんは現代詩人谷川俊太郎とどんな話をするのだろうと興味をもった。
有名人になった佐野さんはテレビには出ないと公言していたから、私はアプローチもしない。だが、めざましい活躍はいつも気になっていた。
その後、谷川さんとも別れ、佐野さんは闘病のために信州だか甲州だかに引きこもった。ガンと告知されたあと、病院からの帰り道に高級外車をぽんと買ったという噂が流れた。いかにも佐野さんらしいエピソードだ。どこまでホントか知らないが、佐野さんの面目躍如と思った。
そして、半年ほど前、杉並で闘病する佐野さんと接触したと、ディレクターが話しをもってきた。一応会ってくれるという。半信半疑でお宅へうかがった。結果は見事NG。テレビにもラジオにも出る気はない。誰かが出演するような話を流したかもしれないが、私は出る気はありませんと、「男らしく」断った。少しも昔と変わっていないと、私は断りを聞きながらなんだかうれしく思った。そのときは、まだ元気そうだったのだが、こんなに早い旅立ちになるとは思いもしなかった。
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