定年再出発 |
カテゴリ
全体 冬のソナタの秘密 シリーズ作品回顧 夏の香りチェック ブログコミュニケーション 新しい番組を構想して 冬のソナタクイズ シリーズ世界わが心の旅 2004年度ドキュメンタリーの現場 登羊亭日乗 ふるさとへ 魂のこと ブロギニストのDJ マイ・フェボリット・ソング 30年の自画像 賢者の面影 大伴昌司の遺産 テレビって何だろう わが心のシーン 1ヒト・2ウゴキ・3ジダイ あしたのジョーの、あの時代 SF幼年期の、終わりに 冬のソナタを考える 少年誌の青春時代 斜陽を考える 人生にジャストミート センチメンタルな気分で 3・11 未分類 以前の記事
2023年 03月 2022年 06月 2022年 05月 2022年 02月 2021年 11月 2021年 10月 2021年 09月 2021年 06月 2021年 03月 2020年 12月 2020年 09月 2020年 08月 2020年 07月 2020年 05月 2020年 04月 2020年 02月 2020年 01月 2019年 12月 2019年 11月 2019年 10月 2019年 09月 2019年 08月 2019年 07月 2019年 05月 2019年 04月 2019年 03月 2019年 02月 2019年 01月 2018年 12月 2018年 11月 2018年 10月 2018年 09月 2018年 06月 2018年 05月 2018年 04月 2018年 03月 2018年 02月 2018年 01月 2017年 12月 2017年 11月 2017年 10月 2017年 09月 2017年 08月 2017年 07月 2017年 06月 2017年 05月 2017年 04月 2017年 02月 2017年 01月 2016年 12月 2016年 11月 2016年 10月 2016年 09月 2016年 08月 2016年 06月 2016年 05月 2016年 04月 2016年 03月 2016年 02月 2016年 01月 2015年 12月 2015年 11月 2015年 10月 2015年 09月 2015年 08月 2015年 07月 2015年 06月 2015年 05月 2015年 04月 2015年 03月 2015年 02月 2015年 01月 2014年 12月 2014年 11月 2014年 10月 2014年 09月 2014年 08月 2014年 07月 2014年 06月 2014年 05月 2014年 04月 2014年 03月 2014年 02月 2014年 01月 2013年 12月 2013年 11月 2013年 10月 2013年 09月 2013年 08月 2013年 07月 2013年 06月 2013年 05月 2013年 04月 2013年 03月 2013年 02月 2013年 01月 2012年 12月 2012年 11月 2012年 10月 2012年 09月 2012年 08月 2012年 07月 2012年 06月 2012年 05月 2012年 04月 2012年 03月 2012年 02月 2012年 01月 2011年 12月 2011年 11月 2011年 10月 2011年 09月 2011年 08月 2011年 07月 2011年 06月 2011年 05月 2011年 04月 2011年 03月 2011年 02月 2011年 01月 2010年 12月 2010年 11月 2010年 10月 2010年 09月 2010年 08月 2010年 07月 2010年 06月 2010年 05月 2010年 04月 2010年 03月 2010年 02月 2010年 01月 2009年 12月 2009年 11月 2009年 10月 2009年 09月 2009年 08月 2009年 07月 2009年 06月 2009年 05月 2009年 04月 2009年 03月 2009年 02月 2009年 01月 2008年 12月 2008年 11月 2008年 10月 2008年 09月 2008年 08月 2008年 07月 2008年 06月 2008年 05月 2008年 04月 2008年 03月 2008年 02月 2008年 01月 2007年 12月 2007年 11月 2007年 10月 2007年 09月 2007年 08月 2007年 07月 2007年 06月 2007年 05月 2007年 04月 2007年 03月 2007年 02月 2007年 01月 2006年 12月 2006年 11月 2006年 10月 2006年 09月 2006年 08月 2006年 07月 2006年 06月 2006年 05月 2006年 04月 2006年 03月 2006年 02月 2006年 01月 2005年 12月 2005年 11月 2005年 10月 2005年 09月 2005年 08月 2005年 07月 2005年 06月 2005年 05月 2005年 04月 2005年 03月 2005年 02月 お気に入りブログ
最新のコメント
|
エミー賞
書斎の机の引き出しから、国際エミー賞を受賞したときの資料がごそっと出てきた。会場でのプログラムやホテルの予約カード、通訳の手配、滞在予定表などである。リタイアして暇になったら整理しようと思って残してきたものだが、ちょうどいい機会だから、今夜、自分なりに総括しておこうと考えて、このブログを書くことにした。 エミー賞でウィキペディアを引くと、ざっと次のような情報が出た。 エミー賞( Emmy Award)は、米国テレビ芸術科学アカデミーの主催で、アメリカのテレビドラマを始めとする番組のほか、テレビに関連する様々な業績に与えられる賞である。第1回のエミー賞は1949年1月25日に開催された。この賞はアメリカ国内対象だが、海外の作品に門戸を開いたのが、国際エミー賞で2009年で第37回を数える。アメリカ以外のテレビ番組を対象に、世界のテレビ作品や俳優などに贈られる賞。2003年までは米国テレビ芸術科学アカデミーが主催していたが、2004年からは別団体である国際テレビ芸術科学アカデミー の主催となった。以下の部門賞が設けられている 芸術番組部門 (Arts Programming) 最優秀男優部門 (Best Performance by an Actor) 最優秀女優部門 (Best Performance by an Actress) 青少年・子供向け番組部門 (Children & Young People) コメディー番組部門 (Comedy) ドキュメンタリー部門 (Documentary) 連続ドラマ部門 (Drama Series) 報道部門 (News) リアリティ・バラエティ部門 (Non-Scripted Entertainment) テレビ映画/ミニシリーズ部門 (TV Movie/Mini-Series) 以下、ウィキペディアは日本の受賞作に言及しているが、これが最近のものばかりであることと、本賞受賞とノミネート作品がごちゃまぜになっていて、正確なことは分からない。日本の業界ではエントリーされただけでエミー賞作品という肩書きがつくらしい。 私の場合、1995年の第23回大会に出席した。会場はニューヨークヒルトンのバンケットホール。1995年11月20日のことだった。私がエントリーされたのはアートドキュメンタリーという部門。パーティのテーブル番号は216。舞台の司会は、イギリスの名優、ピーター・ユスチノフだった。持参した作品は、「響きあう父と子~大江健三郎と息子光の30年」。前年の9月18日に放送された作品である。 正直なところ、病み上がりであった私はエントリーされただけでもめっけもので、まさか受賞するとは思ってもいなかった。だが、グランプリを獲得した者は壇上でスピーチがあると聞かされていたので、一応日本で英作文して準備だけはしていったが、本気ではなかった。ところが、予想に反して、ユスチノフから自分の名前を呼び上げられたときはさすがに舞い上がった。脚が地につかないのだ。ふわふわしていた。片言の英語で3分ほどのスピーチを終えた。一応駄洒落も入れたスピーチだったが、誰も笑わない。セレモニーが終わって、ホテルの居室に戻り、国際電話で東京に報告を入れると、ニューヨークからの一報が入っていたらしく「おめでとう」と先を越されて祝福された。家人にも電話をすると、大病のあとの僥倖をことのほか喜んでくれた。 このときに私がニューヨークの支局の駐在員Nさんへ連絡をつけたファックスが残っている。 《Nさんお元気ですか。NYはそろそろ冬仕度でしょう。私は6月3日転勤で広島から東京へ異動しました。直後6月10日の夜に脳出血を発症。1ヶ月入院、一ヶ月半自宅療養しまして、9月より出社。頭を切開することもなかったので、幸運なことに後遺症はありません。もちろん主治医とも相談して薬はきちんと持参します。》 少し自信を失っている私がこの文面から読み取ることができる。こんな不安な事態のなかで、国際エミー賞グランプリ獲得という出来事は、どれほど病みあがりの私を励ましてくれたことか・・・・・。 グランプリのトロフィは、たしか黒人俳優のローレンス・フィッシュバーンから受けたと記憶する。知性的な笑顔で、「コングラチュレーション」と声をかけてくれた。トロフィは意外に軽かった。 ニューヨークのケネディ空港を出るとき、私はトロフィをカバンに入れずにむき出しで飛行機に搭乗した。出国管理官が目ざとく見つけて、「あんたがもらったの?」と聞いてくれたので、私は軽くウィンクした。こんな思い出があるから、ニューヨークの秋は好きだ。 東京に戻った22日の朝刊の隅に、「NHK作品エミー賞」という小さな記事が出た。その朝の一番大きな記事はダイアナ妃の爆弾インタビューだった。 来られた記念に下のランキングをクリックして行ってくれませんか
by yamato-y
| 2010-11-06 23:04
|
Comments(0)
|
その他のジャンル
ファン
記事ランキング
ブログジャンル
画像一覧
|
ファン申請 |
||