女嫌い
朝のワイドショーでトークしている女優を見て、「わたし、こんな女の人嫌い。話が面白くないしヤマや落ちがないんだもの」とぽんと蹴っ飛ばした。へえと思って、画面を見ると、渡辺謙のパートナーで女優のYだった。
上野千鶴子の新著「女きらい」はこのミソジニー(女性嫌悪)を主題としたエッセーだ。
そんなことはあるまい、男はみな助平で女好きだよという反論がありそうだが、そういう表面でなく、深層の意識にあるものを指している。女排除の文化、それがミソジニー。
読後感が不快なので、この人の本は好きではないのだが、文章の面白さとジャーナリスティックのことで、つい手元に寄せてしまう。
日本の男たちはみな男同士つるんで遊んだり飲んだりしてきた。20年以上前の居酒屋なんて、男だらけで、女の酔客なんてホステス以外いなかった。
やっかいなことに、私が恋しく思う飲み屋の風景というのはそういうものだから、今のフェミニストには評判が悪い。
男だけでつるむ(女だけもある)というのを、ホモソーシャルというということを知ったのは、「冬のソナタ」の制作を担当している頃だった。たしか四方田犬彦の文章で知ったと思う。小津の世界で、笠智衆が昔の同級生仲間らと会って飲む光景から、ウルトラマンの隊員たちの世界まで、たいていのことはそのカテゴリーにのった。
日本だけじゃない。西部劇だってそうだ。ジョン・ウェインやジョン・フォードらの世界もそうだ。男らはみなつるみつながり、女は“紅一点”として扱われたという。
ニッポンの男はみな女ぎらいだ、というご託宣。言われて否定もしない。「べつに・・・。だからあ何か問題でも・・」という開き直りに似たものから、「そいでも、最近の若い男は少しは違うんじゃねえの」という妥協まで、感慨の幅がある。
女嫌いの男が唯一好きな女が母。自分を生み出してきたことは否定できない。だから、かーちゃんの悪口を言われると男はいきり立つ。軍団を組んでえらそうにしているたけしが、母ちゃんのことを言われるとへろへろになり、マッチョな言動のアベシンゾーが母親に頭が上がんない。古来、悪口は母を引き合いに出す。「やーい、やーい、お前の母ちゃんデーブ。百貫デーブ」「お前の母ちゃん、デーベーソ」
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