定年再出発 |
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南山寿――「父ありき」
小津安次郎の「父ありき」を見る。以前にも一度見たことがあるが、きちんと理解できないままだったので、再度見ることにした。 映画の冒頭に、戦前の美しい金沢の町が出て来る。2カットめの川沿いの町はきっと主計町にちがいない。3カットめが武家屋敷。私が学生時代を送ったころの風景と同じで、懐かしい。 金沢の謹厳実直な中学校の教師が、修学旅行の最中に教え子を事故でなくし、その責任をとって辞職する。主人公を笠智衆が演じている。教師には一人息子がいるが、妻には先立たれた身の上。辞めて信州の上田に引き込むが、息子は寄宿舎に入ることとなり別々の暮らしとなる。片親だけで育てられた幼い息子は、つねに父親と一緒に暮らしたいと願いつづけるが叶わずさみしい思いをしている。やがて父は東京に出て工務店とおぼしき所に勤める。子は仙台の帝大へ進学。卒業後、秋田の工業高校で教鞭をとることになる。二人は、東京と秋田と離ればなれとなり一緒に暮らすこともない。 やがて、息子が兵隊検査で帰省したときの1週間だけが、親子みずいらずの生活となった。温泉につかり、渓流で釣りを楽しんだ。その旅の終わり頃に、父は心筋梗塞で倒れた。旬日経ないうちに、父は永眠する。 その今際の際で父は一言。「仕合せだったよ」幸せが薄い人生だったゆえ、その言葉が悲しい。 私なら、死ぬ間際にあんな言葉を吐くことができるだろうか。きまりが悪いやら、幸せだったと手放しでは言えないやらで、きっと「痛い、痛い」と叫んでジタバタしながら死んでいくに決まっている。そんな私を見て、残された家族はどう思うのか。やはり、うちのオヤジは気が小さくて最後まで死ぬことを怖れていたのだなと、うちの息子なら言いそうだ。娘はセンチメンタルなふりをしたかったのじゃないとか、しらっと言うだろう。死んだあとがどうなるかを見てみたい気もする。人間は不自由だ。死んだあとのことは分からないのだから。 満足げに死んでいった父とは違って、息子は一度はいっしょに暮らしたいと願っていたが、それも叶わなかったと小さく嘆く。 「僕は子供の時から、いつも親爺と一緒に暮らすことを楽しみにしていたんだ。それがとうとう一緒になれずに死なれてしまった。 でも、よかった。たった一週間でも一緒に暮らせて。その一週間が今までで一番楽しい時だったよ」 此の映画が製作されたのは1942年。小津は支那事変で1937〜39年まで中国大陸に従軍。復帰の第一作は「戸田家の兄妹」で、これは第2作にあたる。軍国主義が次第に声高になっていく風潮のなかで、よくこれだけ「女々しい」作品が作ることができたものだ。ついでに書けば、この作品を作った翌年1943年には軍の映画班の仕事としてシンガポールに小津は派遣され、そこで敗戦まで止まることになる。 映画を見ていて不思議なことに気がついた。父と子が水入らずで楽しむ温泉宿のシーンだ。二人が泊まっている部屋に襖があって、3文字の漢字が黒々と書かれてある。「南山寿」とある。この言葉に私はすぐ反応した。 かつて、向田邦子の恋文をドキュメントしたときに、恋人バブの日記にこの言葉を見つけたことがある。たしか、脳卒中を発症して闘病していたバブが愛飲していた薬の名前だったはずだ。 早速、ネットで調べた。案の定、姫まつたけから採取する漢方薬品の名である。と、同時に、これは漢詩に現われる常用句で長命を表すとある。 不落の南山のように長寿でという意味なのだ。 とここまで調べて、気がついた。この襖の文字は小津の演出なのだ。長寿を祈る言葉の部屋で、父はまもなく倒れる。そのことも知らず、父と子は互いの思いやりを感謝し、長命を祈る。 この父の死は、おそらく60歳ぐらいにあたるのではないか。当時としてもやや早すぎる死となるのだ。その死が迫る部屋に墨痕淋漓と「南山寿」。 来られた記念に下のランキングをクリックして行ってくれませんか
by yamato-y
| 2010-10-24 12:25
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