ぎくりとする
吉野弘に「仕事」という詩があったことを、今日知った。これまで読んできた詩集では見なかった詩だ。まるで、定年前のふらふらしている私の前にぽとんと落ちてきたような詩。
長いけど引用する。
仕事
停年で会社をやめたひとが
-ちょっと遊びに
といって僕の職場に顔を出した
―退屈でしてねえ
―いいご身分じゃないか
―それが、一人きりだと落ち着かないんですよ
元同僚の傍の椅子に坐ったその頬はこけ
頭に白いものがふえている。
そのひとが慰められて帰ったあと
友人の一人がいう。
―驚いたな、仕事をしないと
ああも老けこむかね。
向かい側の同僚が断言する。
―人間は矢張り、働くように出来ているのさ
聞いていた僕の中の
一人は肯き他の一人は拒む
そのひとが、別の日
にこにこしてあらわれた。
―仕事が見つかりましたよ
小さな町工場ですがね
これが現代というものかもしれないが
なぜかしら僕は
ひところの彼のげっそりやせた顔がなつかしく
いまだに僕の心の壁に掛けている。
仕事にありついて若返った彼
あれは、何かを失ったあとの彼のような気がして。
ほんとうの彼ではないような気がして。
「ほんとうの彼ではない」という言葉が私の心にじんじん響く。
停年、定年、諦念、・・・この言葉が恐ろしくて、じたばたしてきたこの5年。仕事がなくなるということは、自分がなくなるのではないかと恐れて、あがき続けてきた5年。そんな思いを軽くうっちゃるような、吉野弘の詩。「何かを失ったあとの彼」・・・。
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