わが谷は緑なりき―風の谷

九谷、向かって右の山を越えれば越前。永平寺は程遠くない。
朝8時半に家を出て羽田に向かった。加賀の山中温泉に墓参するためだ。父の古里であり、父はその地で眠っている。昨年末に死去した母の遺骨は、10ヶ月、わが家に留め置かれてあった。その母の遺骨を、父の墓に合祀するために私は本日出かけた。
山中温泉町には、遠い縁戚もいる。同じ苗字の先祖伝来の墓の域内に、私の家墓もひっそりとある。15年余り前に父が葬られた墓に、本日母も入れることができた。半年以上、宿題をかかえているような気分であったから、責任を果たしたということで、ほっとした気分になったことも事実だが、一方これで母と「縁が切れる」という空しい思いも半ばする。
山中町には医王寺という大きな寺院の墓地がある。白山神社と隣接している。そのちょうど境目にわが家の墓がある。大きな道路から少し入った斜面に3基並んでいた。本家の墓が2つ、その端にわが家の小さな墓がある。この墓の胴座をねじって開けて、そこへ母の新しい遺骨を納めた。父の骨壷のそば。母の短歌集も重ねて置いた。さよなら。
遠い従兄弟のユキオさんも立ち会ってくれた。私より4つ年長で、現在リタイア暮らし。暇だからいっしょに行きますということで、医王寺の墓地まで来てくれたのだ。
帰りの車のなかで、私らの先祖はどこから来たのかということで、話が盛り上がった。ユキオさんが言うには、山中温泉よりさらに山奥の九谷だという。文字通り、9つの険しい谷がある集落だとか。大半はダム湖になっているが、祖先の村はまだ水没していないということで、そこまで案内してくれた。タクシーで30分はかかる山奥。冬になれば豪雪に閉ざされるという九谷。深い山奥にひっそりダム湖が眠っていた。
大内(おおうち)村、風谷(かぜたに)村、栢野(かやの)村、枯渕(かれぶち)村、九谷(くたに)村、小杉(こすぎ)村、坂下(さかのしも)村、下谷(しもたに)村、生水(しょうず)村、菅谷(すがたに)村、片谷(へきだに)村、真砂(まなご)村、我谷(わがたに)村の13か村があったという。わが祖先がいたのがどれかはっきり聞き出せなかったが、風谷という名前が心に残った。
私のルーツが風の谷にあると想像するだけでうれしい。わが祖先は風のように流れ流れて生きた。山中に出、京都に出、武生に出、敦賀に出た。子孫である私は、金沢にながれ、東京に出、大阪に流れ、奈良に流れ、神戸に流れ、長崎にたどり着いた。再び東京に流れ広島に流れ、大磯に流れ着いた。
どうだ。風の民にふさわしい経歴だろう。と、祖先たちに誇りたい気がした。
夕やみ迫る山中温泉の谷あいを、バスに揺られて、私は帰った。北陸線の暗い車窓に顔を映しながら、71で死んだ父を思い、83で死んだ母を偲んだ。
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