いろいろな映像や漫画を参照しながら
戦争の記憶という主題で、この1週間講義したり考えたりしていくなかで、ずいぶんたくさんのテレビドキュメンタリーや映画、書籍、漫画を見たり読んだりした。
授業で使用した映像は、「農民兵士の声が聞こえる」「忘れられた女たち・中国残留夫人」「耳鳴り」「ヒロシマに一番電車が走った」「夕凪の町・桜の国」「調査報告・地球核汚染」。「ベトナム戦争サワダ」は別の場所であったが学生たち共に見た。
そして、この3日間に、家にこもって見たのは、日本映画「雲ながるる果てに」(家城巳代治)、「戦ふ兵隊」(亀井文夫)「ジョナス・メカス、リトアニアへの旅」「マイセン幻影」。
そして、漫画「この世界の片隅に」(こうの史代)の上中下巻だった。
あ、そうだ。何気なく手にとった古井由吉の「白暗淵(しろわだ)」も読んでみると、あの戦争の記憶がモチーフとなった作品であった。
「雲ながるる果てに」を見て気づいたのだが、ラストシークェンスの特攻機が沖縄に飛び立つ日に駆けつけるパイロットの両親と恋人の話。最後の対面もなく、機影が南の空に去っていくシーンは、「紫電改のタカ」のラストとそっくりだということ。特攻の物語化のパターンを垣間見た。さらに、飛び立つ前夜に、兵隊たちが大騒ぎする場面。ある兵隊が鴨居にとびついてぶら下がるのだが、この宴会芸はある伝説的カメラマンの酔ったときの習性だということを思い出した。若死にしたそのカメラマンは、きっとこの映画を見て、その座興を覚えたのだろう。彼こそ、名作「耳鳴り」を撮影したフィルムカメラマンだ。
ジョナス・メカスの作品は、前に一度ざっと見たことがあるが、今回ムサビのアーカイブスにあるのを知って、じっくり見てみることにした。とにかく性能の低いカメラをぶんぶん振り回しながら「帰郷」を撮っていて、とても商品に耐えうるものとは思えないのだが、おまけに編集も直感的につないでいて、かなり独断的なモンタージュなのだが、見ていると不思議なノスタルジーが湧いてくる。なにより、作者の声が終始流れるのがいい。作者の心情が言霊と痙攣的な映像の交錯から浮かび上がってくるのだ。私らのようなテレビドキュメンタリーの人間にはけっして許されない、超絶的な技法だ。
げっぷが出るほど映像や画像を見たが、もっとも心に残ったのは、こうの史代の漫画「この世界の片隅に」だった。メカス同様分かりにくい漫画だ。一読では掴めないものが多くある。だが、読み終えたあとの深い感動は否定できない。戦前の広島で生まれた主人公すずが嫁いで呉に行き、そこで空襲を体験し、数ヵ月後に広島の原爆を遠望することになるという物語だが、私の心を捉えたのは、次の場面の齣だった。


新妻であるすずの所へ、幼馴染の水兵の水原が訪ねて来て、ふたりだけになったときに起こした水原の行動。志願兵として死ぬことを覚悟した水原がとった態度。幼馴染の人妻への超接近。いとおしげにすずの顔を撫で回す。だが拒否され、水原はすずの夫を愛しているということを聞かされて諦める。その理由が、「夫を好きだなんて普通じゃのお」という言葉で諦めるのだ。世間が普通でないことばかり求めるなかで、普通の態度をとるすずに水原は感動をもする。と同時に、拒まれたやるせなさもそこはかとなく漂わせもする。屈折した水原の思い。ふとどきで怪しからぬという倫理にはおさまらないものが画面のなかから溢れて来るのだ。
漫画がかくも深い表現をなしうるということを私は改めて知った。この漫画についてはもっと研究する余地がある。
来られた記念に下のランキングをクリックして行ってくれませんか
人気blogランキング