京の俄か雨
昨日あたりから京都はいっぺんに涼しくなった。夜ともなれば半そででは子寒いほどだ。
断続的に激しい雨が降った。秋時雨というやつか。四条河原町で雨に遭遇したので、慌てて高島屋に飛び込んで雨宿り。
集中講義では、2本の戦争関連ドキュメントを視聴しながら、映像特性について考えた。「農民兵士の声が聞こえる」と「忘れられた女たち・中国残留夫人」の2本だ。前者は、フィルム作品で、岩手の和賀郡の小さな村から出征した男たちの軍事郵便から読み解いた戦争の顔。後者は長野の泰阜村から旧満州に開拓団として出向いた家族の物語で、敗戦のとき他の家族のために犠牲となって中国に残留せざるをえなかった女たちの事情と現状を描いた作品だ。70年代、80年代に制作されたそれぞれの作品を「読んで」、そこに何がどんなふうに描かれていて、何が描かれていなかったかを、学生諸君に考えてもらった。
大半が1990年代に生まれた学生たちには、あの戦争のことがどんなふうに捉えられているか、まったく関心を示さないかと懸念したが、いずれも熱心に見入っていた。ただ、軍事郵便や背嚢、行軍といった出来事には若干の説明が必要であったのではあるが。この2本の作品を私は10年前に見たことがあるのだが、今回21世紀になって見直してみると、隔世の感に堪えない。特にフィルム番組では、現在の格段に進んだ映像技術からみると、実に表現が粗く情緒的な作りになっている。たしかに、あの頃は1巻き20分しかないフィルムを節約しながら撮影し、編集時には手切りでフィルムをつないだものだった。今のような1フレームごとの細密な編集には限界があった時代である。しかし、若い学生たちはそういう技術面にこだわることなく、日中戦争で御国のためにがんばろうとする農民兵士の声や、敗走するときに兄妹のために犠牲になった女たちの姿にじっと見入っていた。
私のような終戦直後に生まれた者は、戦争を体験していなくても、親や戦後の貧しい時代を通して、戦時下の厳しい環境をすこしは追体験できたと思う。が、現代の豊かさのなかしか知らない若者には、まるで「歴史」を眺めるような、当事者性から遠く離れたまなざしになってしまうのだろうか。それを、講義の最後にリポートとして書いてもらうつもりだ。
本日は、映像はヒロシマ、ナガサキをどう描いてきたかを考察する。3本の作品を用意しているが、うち2本は私が作ったもの。それを告げずに、いかなる先入観もなしで見てもらって批評を聞き取ったあと、番組の細部の作られ方に言及するというスタイルをとることにしている。
昨日は5限の授業を終えたあと、数人の学生たちと教室に残ってあれこれ世間話をした。そのなかで、関西の学生らは関東に比べるとシュウカツに対する危機感が薄いと言いながら、大学4年間のうち半分も就職を考えて学生生活を送らざるをえないことに失望するといったことが印象に残った。
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