夕焼けの記憶
夏の朝、道にカマキリの死骸に蟻が群がっていた。これは夏の終わりだと独り合点していたら、テレビはまだまだと伝えている。
例年より2週間秋が遅れているそうだ。暑い日が続きそうだ。
古山高麗雄の「セミの記憶」をブックオフで見つけた。105円本のコーナーにあったので手にとってレジに行くと、950円と告げられ愕然。でも、立ち読みして面白そうだったので買った。最近、この世代の作家に惹かれる。
暑い日でも夕暮れは美しい。数日前、ベランダに出ると大きな夕焼けがあった。新しいカメラは多少灯りがなくてもかなり撮影できる。
来週から始まる集中講義のためのノートを作ろうと机に向かうものの、あまりの暑さに嫌気がさす。資料の読み込みもできない。せめて映像資料だけでもと思うが、主題が「映像は戦争をどう描いてきたか」とあれば映像は当然重いものばかり。つい敬遠することになる。あれやこれやで、精神が怠惰になっている。
一方、読み止しの「梶井基次郎」も半分を超えたばかりで、読了まで道は遠い。
それにしても夜間のテレビは面白いものがない。相変わらずの紳介は、笑いのつぼがパターン化していて、周りに気を使わせていることが見え見えで、うんざりしてくる。「ファミリーヒストリー」というスタジオ+ドキュメントの番組も盛り上がらない番組だった。個人史のクロニクルでは、表現が平板で面白くないにきまっている。もっと構成できないものだろうか。こんなことを言うと、年寄りくさいと思われそうだが、20年前のテレビはもっと作る熱気があった。今は、ほとんど定式化した、再現多用の「塗り絵」のようなものばかり。

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