反省会
昨日のニュースワイドショーの生本番を終えたあとの反省会でのことだ。私の隣でげたげた笑っている40代の女デスクは誰かに似ていると思った。しばし考えたら、花沢さんだと思い当たった。アニメ「サザエさん」に出てくるカツオの同級生花沢さんだ。おせっかいで元気がよくて、ときどき男子をやりこめる、あの花沢さんだ。実際、この3日ほど顔を付き合わせるなかで、がさつな物言いだが編集の指示の与え方が繊細だなあと感心していた。が、ガラッパチだ。足元を見ると、サンダルから出た足指にはペディキュアが施されている。へえ、女らしい面もあるんだと再び、妙に感心したものの、爪によってはげちょろけがある。やはり、この人は花沢さんだ。
6時に番組が終わると、6時10分にはスタジオからすっかり人が消えた。生放送は、終わってしまえば撤収が早い。普段、私が携わっている収録番組であればこうはいかない。収録をすることはしたが、もう一度やり直したほうがいいのではないかとか、大事な要素が抜けていたから追加で収録しようかとか、あれこれ未練が残り、なかなか終わらないものだが、そこへいくと生のニュース番組はさっぱりしたもの。泣いても笑っても放送は出てしまったから、取り返しのつきようがない。終われば、「お疲れさま」の一言ですべて完了。私の普段担当する収録番組は農民のような心性をもっているとすれば、生のニュース番組は漁師のような気質と言えるだろう。
スタジオから人は消えても、スタッフルームでは集まってその日の反省会が行われる。6時半からおよそ30分、各コーナーの担当ディレクター、リポーターらは反省の弁を述べた。昨日は、水戸と静岡のローカル局のリポーターが参加していた。東京の大きな番組に出演したということで緊張と反省をこもごも語った。それを受けて、プロデューサーやキャスターがひとつひとつ論評する。辛口の批評もないことはないが、おおむね次回にはさらに努力するよう励ましていた。大きな兄が幼い妹に諭すようだ。その光景は、まるで大家族の団らんのようで、少し胸が熱くなった。
私のようなドキュメンタリーばかりやる人間はきわめて少人数のスタッフで作業をする。たこ壷に入って仕事をする。放送が終わっても、これといった論評があるわけでもなく、数日後に舞い込む視聴者からの数通の手紙ぐらいだ。せいぜい、月刊のテレビ批評誌に寸評が載るか載らないかだ。時々、ひとり虚空に向かってボールを投げているような気がしてくる。
そういう作業を10年以上続けてきたから、昨日のニュースワイドショーの体験は、私には新鮮だった。
地方の放送局に在籍していた時代には、こういう体験もあったのだが、広島からもどって15年、すっかり忘れていた。
たしかにドキュメンタリーは個人作業で署名入りという矜持を与えるものだが、ニュースのワイド番組は団体作業で人と人との支え合いで成立している。ワイドショー番組という船に乗り込んだクルーは、個人的な好き嫌いは別として、とりあえず船を進行させるために、全員で協力する。セイラーマンシップだ。
とはいえ、集約された作業はきつい。ワイドショー番組は短期決戦なのだ。20代30代ならともかく、定年再出発組にはいささか荷が重い。この反省会の後、私は道玄坂の編集室でおよそ100分のラッシュを試写する仕事が待っていた。試写中、疲れのあまり時折睡魔が襲う。終わって渋谷駅頭に立った時、時計の針はとっくにテッペンを回っていた。
来られた記念に下のランキングをクリックして行ってくれませんか
人気blogランキング