長崎の夢ば、見た
間違いでなか。夢を見たでなく、夢ば見た。
久しぶりに長崎の夢を見たのだ。どこと言って長崎の町が見えたわけではない。長崎の徴があったわけではないが、明らかに長崎だった。
私がいた頃の、今から24年前の暗い長崎だった。
当時は思わなかったが、今考えてみるとまだ長崎の夜は暗かった。浜口にしろ、銅座にしろ、ちょっと路地に入れば暗闇がいっぱいあった。その暗がりで毎晩うごめいていた。そんな時間のことを夢で見たのだ。
長崎の夏の夜は暑かった。夜の10時を過ぎても、昼の暑さはいつまでも残った。暑くて暗い闇があった。路面電車は疾うに終わり、空(から)のタクシーの赤いランプだけがちらちらする、暗い長崎の夜。銅座から駅前の大通りを抜けて浜口まで、タクシーで疾走する。浦上の入り口にある大きなお寺の側を通ると、防空壕のあとの暗い穴がぽっかり口を開けていた。
石畳の感触だけが残っている。眼鏡橋の橋の上や電車道の縁石などのゴトゴトとした脚触りとでもいうか、膝の記憶というか、そういう感覚がまだある。稲佐山や金比羅山の急な坂道を車で登ったり降りたりした。
出張で長崎を離れると、すぐ長崎の夜が恋しくなった。町全体は暗いが、その繁華街の赤い灯青い灯が懐かしかった。博多へ行ってもすぐに長崎へ帰りたくなった。
私の夏の長崎は、くんちでもなければ精霊流しでもない。暗く暑い長崎の闇だけが恋しい。
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