8・15
8月15日をはさんで、3つの本を読み継いだ。加藤典洋『さよならゴジラたち』、伊東裕吏『戦後論~日本人に戦争をした当事者意識はあるのか』、古在由重『暗き時代の抵抗者たち』。偶然、3つが前後して目の前に現れたまでであって、ねらって読んだわけではないが、読むうちに夢中になって、脳内で今、敗戦、戦後、抵抗という言葉がぐるぐると巡っている。古在のだけ古いが、あとの2冊は近刊だ。
伊東の書は、1994年に加藤が著した『敗戦後論』を批判的に読み解いたもの。その意味で、加藤と伊東は同じ主題を語っている。古在は90年に亡くなった人物で、あの戦争のとき抵抗して獄中にあった体験を語ったものだ。1974年生まれの伊東、1948年で私と同年の加藤、1892年生まれの古在。活躍の場は大きく広がり、重なることが薄い関係だが、語られていることのアクチュアルは同じ緊張感にある。
若い伊東が、あの戦争の責任の当事者には軍人だけでなく、病者も抵抗した者も含まれると言い切っていることにつよい刺激を受けた。侵略戦争だとして反対を唱えたことから獄舎につながれ獄死していった戸坂潤、治安維持法のとばっちりをくらった三木清、スパイとして断罪された尾崎秀美もすべからくその戦争責任の当事者に入るという厳格な規定。
古在自身、戦時下にいくたびか獄中にあって、戸坂、三木、尾崎とも交わりをもつ人物で、彼らのことを、斯かる書で丸山真男を相手に語っていた。(三木清の死について以前から私はつよい関心をもっている)
近年、8月15日が終戦の日とすることに疑念がでている。ポツダム宣言の受託であれば8月14日であるし、ミズーリ号上での敗戦の調印であれば9月2日となる。15日になったのはラジオで天皇の詔勅が声として流れたということにすぎない。しかも15日は、日本人にとって冥界を想像させる盂蘭盆会ということもあって、死者たちを弔い、戦が終わったとするということで、8月15日が終戦記念日となったようだ。アメリカがVJデー(日本に勝利した日)とするのに対し、日本のそれは戦争の相手国もなく、勝ち負けもなく、単に終戦となっている。が次第に、8月15日はその根拠が曖昧であり絶対零度にはならなくなっている。
だが、15日が絶対の敗北の日であったとして何があっただろうか。たしか、8月16日に北海道で空襲があり、何人かの犠牲者がいたと記憶する。南方の前線でも戦火はまだ続いていた地域もあった。戸坂潤は長野の刑務所で栄養失調と疥癬のため、8月9日に獄死。わずか6日前のことだ。
8月15日が過ぎても、政治犯は容易に釈放されない。そして、9月26日。三木清は豊多摩刑務所で疥癬のため死去。疥癬、できもののために彼は死んだのだ。夏の暑さで、いかなる看護もないまま、かゆみと痛みに苛まれるようにして彼は死んだ。15日からもう一ヶ月も経つとうしていたのに。
敗戦と受け止めることもないまま、多くの日本人はあの戦争は騙されたのだという被害者意識に立っていく。伊丹万作の言ではないが、騙されたという人ばかりで騙したという者が出てこない。このデンでいけば、戦争の責任は戦犯ら数百名の少数であって、大半は被害者となる。そこには戦争責任の当事者性がすっぽり埋没してきたのではないかと、若い伊東が指摘している。
8月15日。戦争が終わった日でもなく、戦争を終えた日でもなく、戦争を終わらされた日でもなく、敗けた日でもなく、ラジオで放送が流れた日。
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