
旺盛な生命の終わりが近づき
8月とは旺盛な生命が息づく時期。だが、この国では戦争に思いを馳せ死者を思う月でもある。エリオットの言い方を真似れば、8月は残酷な月。
アッツ島玉砕のスペシャル番組を見た。戦史にはアッツ島という語はよく出て来るのだが、実際の現地は写真でしか見たことがない。この番組の冒頭にその島の現在が出て来る。今回、取材班がアラスカ、アンカレジからプロペラ機で飛んで、現地に入ったのだ。このことだけでもすごい価値ではあるが、むろん玉砕の真実を追求していく点が番組の髄なのだろう。本編は玉砕までの過程と遂行の悲劇を証言中心で描いていた。正直言って、その面はインタビューが中心でいささかスタティックに思えた。それにしても生き延びた兵士の証言は重い。
軍上層部の無責任な対応にはいつもながら腹立たしく思う。インパールのときのムタグチを思い出してしまう。
――玉砕、命を玉として砕け散らしていくこと。
河原枇杷男という知らない俳人にこんな句を見つけた。
野菊まで行くに四五人斃れけり
戦争をうたった句であるかどうか分からないが、私には戦場句に思えた。荒涼とした北の丘の頂に咲く野菊。風にかすかに揺れている。突撃をした兵士たちは,そこまでたどり着くこともできないまま斃れてしまった・・・。
むろん玉砕は万死である。四五人ではすまない。この句の情景は野菊をめぐる四五人だが、その周囲には、その戦場には累々たる兵士の斃死。
夕方、目黒川沿いの目黒図書館へ本を返しに行った。途中、土手の桜並木で蝉を見つけた。羽根が片方切れた瀕死の蝉だった。根っこに近い幹にしがみついていた。まだ命が残っていて、右の前足で必死に前方を掴もうとしていた。震える足がせつない。
夕暮れて、区民プールも人影が減っていた。子供らの歓声も消えていた。
夏の終わりが始まっていた。
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