
ビィの副級長
中学校の同窓会の2次会。カラオケハウスに行ったとき、座席が男女でくっきり分かれた。今の時代、男だ女だと区別することがなくなっているのに、未だそういう現象が起こるのはふるさとの町が旧弊なのか、団塊の世代自身が古い意識を引きずって固陋なのか。いずれにしても映画やドラマの同窓会では男女仲良く昔話にふけるのを見ているから、やや落胆した。現実との開きを感じた。
敦賀では女の子をビンチョとかビィと呼び、男の子をボンチと呼びならわしてきた。ビンチョ、ビィの言葉には女のくせにという軽い蔑すみが混じっている。
Nさんは幼稚園以来の友達で、幼い頃から利発にして発言力があったから、クラスの中心にいつもいた。たいていクラスの正委員である級長は男子が勤めるので、Nさんは副級長になったり生徒会の役員を担ったりしてきた。ワルイ男子にもおかまいなく注意を与える、しっかり者の女性だ。
英語が得意だったから、青山学院大学に進学したと聞いたときはまぶしかった。花の東京のど真ン中で活躍するのだろうと少し羨ましかった。
予想通り日本航空に就職し、国際線のフライト・アテンダントとして世界を駆け巡るようになった。一方、私らの世代らしく反権力の意識が強く、会社の合理化には断固戦ってきたようだ。(それにしても、あの日航はどうなっているのだろう。最近、現役の人から手紙を貰ったが、現場の荒廃は相当なもののようだ)
数年前にNさんはリタイアして、現在都内で主婦をやっている。私が1月に入院したときも見舞いに来てくれたが、生憎私は外出していた。
そのNさんが同窓会でM君と再会して大喜びをしている。ブリキ屋の息子M君はワルで、いつも副級長のNさんを悩ましていた。M君はワルといっても非行などとはまったく縁がなく、男気のある熱血漢だったから、単に反抗していただけだと思うが。
M君は高校を卒業するとすぐ船乗りになってアフリカへ行った。今回、話を聞いたのだが、世界一周がしたい、ズール戦争の跡を見たいとそういう職業を選んだとか。今は故郷にもどって板金の仕事に就いている。すっかりスリムになり髪も後退して気のいいオジサンになっている。
気の強いと思われた副級長のビィは“不良”のM君のことが内心怖かったらしい。それでもリーダーとしてクラスをまとめなくてはという責任感から、率先して注意を与えていた。それをうざいと感じたM君は楯突いていたのだ。だから今回「更正」して立派になったM君と会って、副級長は感激したのだ。
2人の生き方を見て思ったのは、私らの世代は男であれ女であれ田舎の町を飛び出して世界に行きたいと願ったことだ。私たちというのは、幼少期にアメリカのテレビ映画を見て豊かさに憧れ、西欧の重厚な文化に魅了された。いま、ここ、にないものを知りたい求めたいと、意識は世界に向かっていた。現在、大学で私が触れる学生たちはほとんどそういう関心をもたない。海外旅行をするより家でネットをやっているほうが好きだという若者が実に多い。
私から見れば、Nさんは上野千鶴子のような存在だ。幼い頃から活発に行動し、社会にも積極的に働きかけをやってきた。戦後第3世代の女性として、女性の地位向上に貢献してきた。男女雇用均等法が制定されるのは一つ下の世代だから、その礎を築いてきた世代だといっても過言なかろう。先駆の存在として苦労もたくさんあったかもしれない。が、そんな素振りも見せずに、堂々と老後に向かっていくNさんに副級長の健気さを見る。
2次会のカラオケハウスを早めに抜け出ると、美しい夕焼けが広がっていた。あかねが山入端に射し、高い空には古代青が流れていた。
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