火星年代記
レイ・ブラッドベリの『火星年代記』を読んだ。SFの名作として誉れ高い作品だ。今頃になって読むとは、日本SFの五十年の番組を作った者としては遅きに失している。正直に言って、SFは苦手なのであまり読むことがないのだ。だが、この小説の噂はいろいろなところで聞いていたから、図書館で早川文庫のなかに見つけたときはすぐ手にとった。
1950年にイギリスで出版され、日本はその6年後に翻訳されている。だから、その後の60年間に亜流がたくさん生まれているから、目新しく感じるところは少ないが、しかし、火星に植民するという物語の壮大な構築はうまいものだと感じ入った。
26の短編の連鎖構造になっている。そのなかの一編、「火星の人」が心に残る。
地球時代にわが子を失った老夫婦(といっても妻は60)が火星に来て、その息子の幻影と出会うという話。死んだ子の年を数えるではないが、老いたラ・ファージュ夫妻は地球にいるころは亡くなった息子トムを何かにつけ追悼してきた。そして火星にやってきて、そのトムが在りし日の姿のままよみがえってくるのだ。火星人の罠か・・・。
失われた過去が甦るというスキームは、あの芥川の「杜子春」でもよく似たプロットとして使われていた。
杜子春は、何があっても口をきいてはならないという試練を受ける。虎や大蛇が襲ってきても、怪しい神に突き殺されても、地獄に落ちても、杜子春は一言も言わない。ついに、怒った閻魔大王は、地獄に落ちた杜子春の両親を連れて来させる。杜子春の前で鬼たちが両親でいたぶる。杜子春、耐え切れず「お母さん!」と一声、叫んでしまう。――ここでも、亡くなった肉親が甦ってくるせつなさが描かれていた。
ブラッドベリの「火星の人」でも失くした子どもが姿を現す場面。なぜか、身につまされた。
そして、年代記は進み、2005年。地球に核戦争が勃発するのだ。その余波が火星にも押し寄せて来る。今の私たちは幸いなことに核戦争を体験しないまま2010年をむかえている。が果たして、この今の地球はよき存在として持続しているのだろうか。そんな問い返しを、この「火星年代記」は迫ってくる。
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