2010年夏の始まり、出会いと別れ
すっかり晴れた。京都祇園祭、山鉾巡行のクライマックスの日は最高の日和となった。
朝から祇園囃子が鳴り続けている。宿泊している場所が四条木屋町という最も繁華なところだから、通りを次々に山鉾が過ぎていく。
京都の2010年前期授業も昨日で終了。今年も2本のビデオ作品が出来た。1月に手術をしたときから、体調に不安をかかえて、出張授業も危ぶんでいたが、何とか前期を終えることができた。この7月の前期最終授業では思いがけない出会いと別れがあった。
3ヶ月ほど前に感想を書いた「無国籍」のドキュメントの主人公のハウさんにお会いすることができた。この番組を目にしたときから聡明な彼女に会って話しを聞きたいと思っていたが、彼女はなんと私の通う大学の大学院に在席していたから、私から連絡をとるとこころよく応じてくれた。そして、1日目、2日目と2度にわたって彼女の今研究しているテーマについて詳しく聞いた。
ベトナムの難民たちのグループホームあかつきの村での活動と出会いがハウさんの研究のモチーフになっていた。そのことを、彼女は『ホリスティック・ケア』という専門書に書いていた。題は「弱さの交差点で」。絶妙の表現である。彼女の文才を感じる。副題というか巻頭辞に「それでもなお意味がある」というマルティン・ブーバーの言葉が掲げられている。彼女はブーバーの研究者になっていた。
ベトナムからの難民として生きてきた家族の歴史、少数の他者として生きてきた個人の精神史など深い話を延べ4時間ほど聞くことが出来たのは幸いであった。久しぶりに生きる意味というものと向かい合うことが出来た時間だった。
面白かったのは、彼女と会っている間、外は雷が鳴り土砂降りの大雨になっていたことだ。しのつくような雨は彼女がこれまで抱えてきたものの激しさを表すようであり、洗い流すようであったりするものと、私は受け取った。献本していただいた『ホリスティック・ケア』は専門書にもかかわらずケアの全体性(ホールネス)、ケアの聖性(ホーリネス)、シュタイナー、神谷美恵子、など興味深い言葉が並んでいる。週末、これから熟読しようと考えている。
別れは教え子のK君が留学するために退学したことだ。5年前の学部生の頃からの付き合いとなる彼は大学院に進学し研究者の道を目指していたが、前から念願していた映像作家の道を実現するために米国の大学へ進むことにしたのだ。昨日づけで退学届を出し、9月から西海岸の大学で映画論を学ぶことになる。そこで、技術と人脈を培って、ゆくゆくは映画を監督するというのが彼の大志だ。
この人生のギアチェンジに、私の行っている映像メディア論が大きく関わっているから、私としてもいささかの責任を感じる。彼の進路についてはこれまでも相談にのることがあった。私の授業はドキュメンタリーだが、そのなかで彼は「ドラマ」を制作した。梶井基次郎の「檸檬」を映像化したのだ。みずみずしい映像に才能を感じた。以来、彼はドラマとしての映画を撮りたいと願い、その思いは年々つよくなっていた。そして、いよいよ船出することになったのだ。
昨夜、前期授業の打ち上げが百万遍交差点そばのおむろ家で行われた。チューターとし前期授業に参加してくれた彼も出席。この打ち上げは別れの宴も兼ねることとなった。
新しい出会いもあれば別れもある。私の周辺で少し時間の流れが速くなってきた気がする。私も若い人たちに負けないようダイナミックに人生をギアシフトしてみるか。
土曜日、祇園祭の山鉾を見学したあと、昼過ぎの列車で敦賀へ帰省する。母の家に残された品々の後片付けを今日、明日とやるつもり。
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