I HAVE A DREAM ――私には、夢がある
久しぶりにシンガーソングライターの吉岡しげ美さんと会って、話をした。
吉岡さんとの付き合いも長い。30年近く前、「戦争未亡人」のラジオドキュメンタリーを
共に作った時からだ。その老婦人が生きた苛酷な戦後を、二人で辿った。
その後の、吉岡さんの活躍は目覚しい。秩父で仕事唄を採譜したり
まだ無名であった金子みすずを「発見」したりした。その感性のするどさには驚く。
大漁
朝焼小焼だ 大漁だ
大羽鰮の 大漁だ
浜は祭りの ようだけど
海のなかでは 何万の
鰮のとむらい するだろう
木
お花が散って 実が熟れて、
その実が落ちて 葉が落ちて、
それから芽が出て 花が咲く。
そうして何べん まわったら、
この木は御用がすむかしら。
こういう詩に、吉岡さんは次々に曲をつけて歌った。
やがて、彼女は数年間、西海岸のバークレーで暮らす。そこで、アメリカの普通の家庭
を見てくるのだ。後に同じような現象が来るのだが、当時の日本では考えられない
アメリカの「家族像」を吉岡さんは、偏見のない自立した日本女性の目で
しっかり受け止めてくるのだ。
そういう力をもった人として、帰国後、彼女はETVのキャスターとして選ばれる。
その頃、私たちは再びいっしょに仕事をする。
音楽活動も次第に広がっていく。与謝野晶子や茨木のり子、高良留美子らの
歌人や詩人の作品に音楽をつけていく。
あの、国語の教科書にものっている、茨木の「私がいちばんきれいだったとき」
私が一番きれいだったとき
まわりの人達が沢山死んだ
工場で海で 名もない島で
わたしはおしゃれのきっかけを
落としてしまった
静かな、反戦歌だ。これを吉岡さんはさりげなく歌い、聞くひとたちに
熱いものを残した。
話は飛躍する。アメリカにピート・シーガーというフォークシンガーがいる。
有名な「花はどこへいった」の作者である。この歌はベトナム戦争への
プロテストソングとなった。
今、90歳を越える彼は、イラク戦争勃発の後、英訳された「私がいちばんきれいだった
とき」を歌っているそうだ。吉岡さんから教えてもらった。
吉岡さんとシーガーが出会い二人で
「私がいちばんきれいだったとき」を歌うことを、私は夢見る。
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夕桜