2つの訪問
今回の京都の旅で、珍しく寺院や美術館を訪ね歩いた。最初は、授業が始る前に一乗寺にある詩仙堂に行った。河原町から北白川行きのバスで大学の近くまで行って、そこから歩いた。20歳のときに曼殊院、詩仙堂、金福寺と回ったことがある。そのころは、一乗寺下がり松あたりは見渡すかぎり田んぼだったが、今ではすっかり住宅街となっていた。
42年前は、朝早く金沢を立って、日帰りで北白川通りの寺院を視て回った。女友達が2人いた。彼女らはその春進学が決まって、入学旅行のようなものを決行するということで、親御さんから用心棒代わりに同行することを頼まれたのだ。今から考えると私が用心棒だとは笑止だ。
静謐な曼殊院が心に残っていたが、少し離れているので今回は詩仙堂だけにした。店屋があちこちに出来て俗化が甚だしいが、入り口まで来ると、そこだけは別の時間が流れているような竹林の異空間があった。山門から玄関までの両脇は明るい竹林で美しい。梢を小鳥が渡っていく。
梅雨のせいか観光客は思いのほか少なく安堵した。詩仙の間に座って庭をぼんやり眺めた。ときどき有名なししおどしが音を立てるほかは水の流れしか聞こえない。この寺の敷地は斜面にあって、上から下まで8メートルほどの段差になっている。
庭下駄を履いて一番下まで降りたが、これといって何もなく最上段の座敷からの景色がいちばんよいと気づいた。これを建てたといわれる石川丈山という人物は、しおりを読む限り胡散臭い。徳川の譜代の臣で大坂夏の陣で功名をたてたが、京都で朱子学を学んで清貧に生きることを決意したとある。少し話が出来すぎている気がするのだが。建物もやや思わせぶりでわざとらしい。入り口の竹林だけがいい。
詩仙堂や八大神社、狸谷不動のある丘を下った。蕪村ゆかりの金福寺の山門に立つ。ここはほとんど観光客がいない。以前、訪れたときは秋だった。蕪村が翁の遺徳を偲んで造成したという芭蕉庵は簡素で美しかったことを覚えている。寺内を視て回ると、昼からの授業には間に合わない。そこで、芭蕉庵の屋根だけ見て踵を返した。ふと芭蕉のあの句を思った。
やがて死ぬけしきも見えず蝉の声
もう一つは最終日土砂降りの雨のなかを訪れた河井寛次郎記念館で、ホテルから程遠くない地五条坂にある。母の歌集の題が「五条坂」で、ここにあった教会で初めてキリスト教に出会ったという縁の場所にあるということで興味をもった。
ひどい雨で記念館の前までタクシーで行った。
京都の古い民家がそのまま博物館になっている。引き戸を開けて入ると、薄暗いたたきがあって、天井から日がぼんやりさし込んでいた。大正、昭和に活躍した陶芸家河井寛次郎の住まいとアトリエがそのまま保存されている。ここでの圧巻は奥の庭に建てられた5層の登り窯である。この大きな窯が気にいり、私はこの窯の室内で小半時も過ごした。外はうっとおしい雨が降っていたが、暗い窯のあちこちに窯変した陶土のかけらのようなものが張り付いていてキラッキラと光るのを見ているだけで時間が経った。
河井の陶芸作品は私の好みではない。プリミティブで派手な文様がわざとらしく感じられ、彼が崇敬するという朝鮮の無名陶のような味わいとは違うと思った。彼の残した書も同様のものを感じた。脱俗を売りにする俗のようなものがはなについた。
記念館を出て、傘を片手に五条坂を歩く。教会らしいものはないかと探したが見当たらなかった。雨はどんどん激しさを増し、ポロシャツもしとど濡れてきた。ひとまず京都駅に行った。北陸線サンダーバード号の2時に乗る。
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