雨のお墓参り
土曜日、昼近くの電車で敦賀へ帰る。疋田あたりから雨脚が強まる。
敦賀駅に着いたときは本降りになっていた。
3時過ぎ、実家の前に立つ。主はいなくても庭の木々は青々として美しい。紫陽花がいい具合に咲き零れている。ホタルブクロも花が少し赤みを帯びている。親父が丹精して作った庭は今も無事だ。玄関の鍵を開けて入った。家の匂いがした。母が元気だった頃は気がつかなかったが、無人となってみると家の匂いがぷんと鼻につく。おそらく前からあったにちがいないが、母が動いているときは母の動静に意識がいっていて、匂いは無意識下となっていたのだろう。これが我が家の匂いかといささか感に堪えない。玄関を上がって台所に入るとすぐに、窓という窓を開け放つ。網戸からいい風が入ってくる。冷蔵庫を開けると、ビールの1ケースがあった。
座敷の小机に飾ってある母の遺影と父の写真の前に出て、「ただいま帰りました」と報告をする。足を崩して一息いれると、どっと汗が出てきた。蒸し暑い。シャツの前を開け、そばにあった団扇でぱたぱた扇ぐ。
雨が小降りになってきた。西の空がわずかに明るい。お墓参りでも行こうかと、立ち上がる。父が眠っている教会の墓地は家から500㍍ほどにある。そのすぐそばに先日亡くなったことを知ったOさんのお墓もあるから、都合いい。
庭の紫陽花を数本切り取り、自転車の前籠に入れた。右手に傘を持ち左手でハンドルを操作し丘上の霊園を目指す。途中、国道8号線を走るのだが、片手ハンドルはさすがに恐い。そばを車がびゅんびゅん走り抜ける。桜ヶ丘の坂下までは小ぶりだった雨が、急に大粒の雨にかわる。
霊園に着くと、さすがに雨の墓地には誰もいない。備え付けのバケツに水を半分ほど入れ、ひしゃくを落とし込み、片手に紫陽花の花束をかかえて、まず父の墓に向かう。教会の墓は正面に聖書の一節が刻まれた大きなモニュメントがあり、その傍らに物故者の氏名を刻んだ銘板がある。そこに父の名前があった。信義と刻まれた文字を水でごしごし洗い、「もうじき、来るから待っていて」と母の納骨が近いことを父に伝えた。
一区画離れて、Oさんの眠る一家の墓がある。ここではお花だけ供えて手を合わせた。雨は依然として降っている。
霊園は小高い丘の上にあり、眼下には青々とした田んぼが広がり、真ん中をにバイパスの大きな道が貫いている。土砂降りの雨で遠くは霞んでいたが、誰もいない丘からの眺めは清々するものがあって、何か勇気が湧くような気がした。
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