一筋の道
芭蕉が29歳で故郷の伊賀を離れて上京したとき、並々ならぬ決意であったにちがいない。
武士を捨て、俳諧師としてやっていくつもりだったのだから、中途半端な決意でない。富山奏によれば、芭蕉の生まれた時代は伊賀、藤堂藩の窮乏がもっとも激しいときで、農民百姓のなかから自害するものも続出したとある。けっして楽な時代でなかったのだ。そのなかで、鍛えられた芭蕉は幼い頃から胆力があったのだろう。ひとたび決めればその道をまっしぐらに行くとした。一筋の道である。
学問の道も厳しく激しいものだと、昨日大学で院ゼミに参加して感じた。大学院の修士課程、博士課程のメンバーたちのゼミで、毎回、それぞれの発表がある。学部のゼミなどとはレベルが違うゼミだ。主任の教授、準教授の列席するなかで、およそ40分ほど自分の研究内容を報告し、質疑を受けるものだ。
昨日は、戦後の核・原子力学者たちが、核の平和利用ということをどんなふうに捉えていたかという研究発表で、発表者は博士課程のY君だった。9ページにおよぶレジメを片手にY君は奮闘したが、報告後の質疑では厳しい評価を受ける。「このリポートを通して、何をいいたいのか分からない。そのスタンスを決めないと論文にはならない」と教授は言い放つ。「下世話にいえば、私らは税金というお金をもらって研究しているのなら、それに見合う成果を上げなくてならない。この報告にはどんな成果が出てくるのかというと、このままではそれは危うい」。厳しい。
驚いた。象牙の塔で世間とは無縁の好き勝手な研究をするところが大学、なんて勝手な想像をしていたが、まったく違う。文系であろうと、社会への還元を念頭においた姿勢がまず問われるのだ。むろん、それはすぐに実業に結びつくような成果を期待されているわけではない。その基盤となるようなものも含まれるのであろうが、少なくとも趣味道楽の研究はありえないのだ。しかも、それを研究とすると決めれば命がけの、芭蕉の言う「一筋の道」とならなくてはならないことを、教授は言外に語っている。
教授のびしびし入ってくる太刀先にY君は意外にも蒟蒻問答に近い受け応えで防戦する。のらりくらりとというわけではないが、叱責されてもめげていない。この勁さに感心した。現代の若者は打たれ弱いという定評とはまったく違う“強情ぶり”に、思わず内心頑張れと声をかけたくなった。
たしかに、Y君の理路はあまいところが諸所に見られる。教授の筋論は見事に言い当てている。だが、こういう激しい打ち込みにたじたじとなりつつ切り返すなかで、Y君は活路を見出し、学者としての胆力を鍛えられていくのだろう。
ゼミが終了したとき、まるで剣道の勝負を終えたような心地よい疲れが、私にはあった。(別に私が発表したわけではないのだが)
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