バスのなかの出会い
京都駅からは百万遍経由錦林車庫行きのバスに乗った。一昨日まで小寒い日が続いていたという京都も、すっかり空が晴れて気持ちのいい日となった。
バスの車窓からも通りの紫陽花が美しい。
河原町を北上して、四条の駅で客がどっと降りてどっと乗ってくる。赤ちゃんをおなかにのせた若い母親がしゃきしゃきと入ってきた。そこへバスの後ろの席にいた中年女性が「××ちゃん」と声をかけた。
母親は振り向いて、声の主を捜す。見つけてにっこり。「まあ、お久しぶりですね」とそちらのほうへ寄っていき、抱いている赤ちゃんの顔をそのおばさんのほうへ向けた。20代と40代の女たちは楽しそうにおしゃべりを始めた。
バスの車中で知り合いに出会うなんて光景は、今や京都ぐらいではないか。東京では町があまりに巨大なので知人と会うことなどめったにないが、地方都市でも別の事情でない。金沢の町がそうだ。
今から40年前は、香林坊の日銀前のバス停に立っていれば誰かに会ったものだ。まだ走っていた路面電車のなかでも挨拶を交わす光景はよく見られた。
だが、その後電車は廃止、道路の拡張で、町屋が区画整理にあって間引かれ、車社会になっていくと、住民は郊外に住むようになり、出歩くのもマイカーになっていく。いきおい知人と出会う機会がめっきり減った。
京都は市内バスが発達していて、市民はどこに行くのもこれを利用する。なまじマイカーで移動するより便利だ。車であれば駐車スペースを捜すのが厄介になるが、身ひとつのバス利用であればどこでもほいほい出歩けるのだ。こうして市内は人と車がほどよく混みあう。こういう「懐かしさ」が京都の良さのひとつと思うが、町の店舗風景が悪化しているのはいただけない。四条河原町などは地元の老舗がなくなり、ほとんど東京資本のチェーン店ばかりとなっている。何処の町でもあるコーヒーショップやコンビニだらけの町になりつつある。そんななか、BALビルはまだあった。が、往年の賑わいがなくなり沈んでいるのが気になった。
昔三条河原町にあった中華料理の店「飛雲」によく通ったものだが、この店も20年ほど前に消えた。今でもときどき行くのはイノダのコーヒーショップとフランソワぐらいか。
百万遍で降りた。大学の生協ルネに向かう。ここの食堂のこぶうどんを食べてから授業に向かうとゲンがいいのだ。朝からサークルの練習が始っている。応援団の太鼓の音がずしんと腹に響く。
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