梅雨入りした大磯の森で
カートにVHSのビデオテープを20本詰めて山道を下る。重さに手をとらそうになる坂道を及び腰で下っていて立ち止まると、どくだみの白い十字の花が雨に濡れていた。葉にびっしりと雨粒を受けて首をかしげるような風情。昨日までの暑さは消え、梅雨特有の肌寒さが広がっている。ケヤキの幹が雨にうたれて黒黒と光っている。麓の草むらは鮮やかな鶯色の塊となって、雨風になびいている。大磯の森は霧のような小雨のなかにあった。6月14日、とうとう梅雨が来た。
朝はひと騒動あった。2階のガラスの屋根がひび割れしていて、そこから雨が少し漏っているようだ。秦野の工務店に連絡をとって見てもらった。ひびは広がろうとしているから新しいものと取り替えたほうがいいという。思わぬ出費だ。朝から景気の悪い話だとイラつきながら出勤する仕度をした。
ショルダーバッグをたすきがけし、トートバッグとカートを右手に持ち、左手にビニ傘を差してツヴァイク道を下った。道端の草むらに蛇苺の紅い実がぽつぽつとある。道の脇からちょろちょろ水が湧き出して、山道に沿って麓の谷川に向かって流れていく。句材にならないかと頭をひねるが何も思い浮かばない。
現存在ということを考えている。人間は死にゆくものだ。死に向かって生きている。今生きているとは、死に行く過程の一こまである。そうやって今の生の在り場所を定めたうえで生の行為を決めていく。今ということを前景化させる。
こんな立派な生き方をする人はどれだけいることだろう。夏目漱石なんて人もそんなことを考えながら生きていたのだろうか。彼が小説のことを構想しながら、文机で鼻毛を抜いていたときもそう今を規定して生きていたのか。本当に。
梅雨の童謡。「雨が降ります 雨が降る 遊びに行きたし傘はなし」後の文句は忘れた。子どもの頃を思い出す。北陸の梅雨は長かった。いつまでも雨が降り続いた。することもなく、台所の板の間で転がっていた。おなかが空いても食べるものなどなかった。梅雨どきは枇杷でも梅でも食べてはダメだと注意されていた。家には誰もいなかった。おそらく留守番でもしていたのだろう。板張りの床がひんやりとして気持ちよかった。ごろごろ転がって敷居にぶつかっていた。テレビもない時代だから2年生か3年生の頃だ。ガラス窓に息を吹きかけて出来る模様が何かの発明にでもならないかなどと、愚にもつかないことを考えていた。父母の懐袍にあった時代だ。
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