広島太郎
2泊3日で広島へ取材(リサーチ)に行った。原爆資料館と中国新聞社が目的の場所だ。東京では得難い資料をいくつか見つけ、成果があった。
広島に滞在している間、涼しい日が続いた。6月の広島とは思えない「寒さ」だった。雨もよく降った。一日中降っているわけでなく、夕立のような雨だ。これも珍しい気象だ。雨が降りそそぐ太田川はいい。悲しみに沈むような青灰色の水面に雨粒が黒いシミをつけていく。平和大橋のなかほどで川をみやると、大きな鯉のような魚が水面近くにまで浮かびあがっていた。じっと見ていると、ふたたび水底へ消えていった。
折りたたみの傘を持って行ったから、私はいい具合に雨を避けることができた。にわか雨で、大きな木下に自転車に乗った女子高生二人が雨宿りしている。見ると、頭から顔にかけてずぶ濡れ、夏服のセーラーもすっかり濡れている。困った顔をしているが、はち切れんばかりの若さがみなぎっていて可愛い。あの原爆で全滅したといわれる県女の少女たちを一瞬思い浮かべた。彼女らも夏服姿だったのだ。
原爆資料館には3時間ほど滞在して、ある資料を書き写した。久しぶりにパソコンではなくボールペンの筆記となり、けっこう腕と肘が疲れた。写し終えて、外に出るとまぶしいほどの陽がさしている。木陰を選んで歩いた。
広島放送局の会館前まで来ると、広島太郎がいた。広島の町の人気者だ。ごてごて飾った自転車を引っぱり、奇天烈な衣装に身を包んでいる。自転車に括り付けられた手書きのポスターには、広島の人気者ベスト3と描いてあって、一位山本浩二、三位西城秀樹で、二位に広島太郎と書いてある。広島太郎――楽しそうな人生だ。
夕方になって、町並はゆっくり紫陽花色に染められる。空はまるで秋のように高く、刷毛雲が2、3片浮かんでいる。平和大通りの大きな道沿いにはいくつも慰霊碑が並んでいる。一つ一つを見て回りながら、あらためて原爆の悲惨を思う。
夜、中国新聞のN記者と酒を酌み交わした。Nさんは優秀な原爆報道の記者で、被爆50年の1995年以降の大きな特集のほとんどを手がけている。地元報道のエースだ。そのNさんが、被爆者を取材していて、いつも後ろめたさが残るという。あんな悲惨な出来事を聞き出して記事にして、私らは「メシ」を食っている。そのことにひっかかるものがあるんですよと呟いた。
Nさんの母上も被爆をしているが、取材時けっしてそういうことは口にしないと決めている。取材が終わったあとに、「あんた、どこの人?」と聞かれることがあれば、五日市と答えるが、自分からそういうことは言わないことにしている。
劇的な被爆体験などを書き上げることに違和感をいつももっていて、たいがいの被爆をした人たちは言葉にならないものを胸にかかえている。そういうものをいかに受け止めるか、いつも考え込んでしまいます、と苦笑。
この3日間、広島原爆のことについて必死に考えた。
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