霊界の入り口で
誰もいない実家で2晩過ごした。電気と水道、ガスは一応通じてはいるが、めったにしか使わない風呂を沸かし、ガスで魚を焼き、テレビ画面にDVDを再生して稼動させた。静まりかえった屋敷を揺さぶって、眠りから覚まさせようというのだ。そういうジタバタはかえってよくないようだ。夜が更けるにつれ不気味さは徐々に漂いはじめた。小暗い仏壇の金具が鈍く光りだし、床の間に安置された母と父の遺影がぼーっと浮かびあがる。
よせばいいのに、仏壇の扉を開けて、内部を整理することにした。上段の下手に大きな位牌、上手に繰り出し位牌が鎮座している。中央には阿弥陀如来像が架かる。
繰出し位牌の蓋を外して、中を調べる。白木の札板が数枚入っていた。
元来は三十三回忌を終えた古い位牌をひとつにまとめる為に繰り出し位牌は使用されるのだが、四十九日法要をもって直接木札にされるのもあるようだ。繰り出し位牌のいくつかの木札には享年が2歳、1歳という短いものがあった。
仏壇の引き出しを開けると、母のメモらしいものがある。どうやら、繰り出し木札8枚の説明書のようだ。8名中5名の人物の名前はいかなる血族か想像がつく。祖父と祖母の名前は知っている。さらに曽祖父と曾祖母、曽祖父の後妻の名前は判明したものの、残る3枚の消息は初めて知るものばかり。K子0歳、Y子1歳、T男1歳、みな乳児で死亡している。どうやら、父の弟妹らしいと見当がついた。
驚いた。父に2人の妹と一人の弟がいたなんてことは初めて知った。死亡年を見ると、大正14年、昭和2年、昭和6年とある。都会はともかく地方は不況であえいでいた時期の死である。生育環境も充分でない時期に乳児たちはその姿を一瞬垣間見せただけで、永遠の彼方へ旅立っていたのだ。何か、赤子の泣き声が闇のなかから聞こえてくるウィリアム・ブレイクの詩を思い浮かべる。ブレイクは夭折した赤子たちを天使として見立てる詩が多かったと覚えているが。
ひたすらに還りくる子を待ちまちし姑逝きて五十年共にここに眠る
母の短歌である。父の母つまり私の祖母は、49歳で昭和24年に逝った。寡婦の身で頑張って男の子2人育てて奮闘の末の脳溢血死だった。21年に長男が復員しやっと親子の暮らしができると思った矢先の死。無念であったにちがいない。不幸であった祖母の運命を、生前の父は密かに悲しんでいたと今になって知る。その母子が今同じ墓に眠ると歌った母も泉下の住人となってしまった。
かくして私は深夜物音一つしない静寂(しじま)のなかで、一人がさごそと動きまわり霊界と交通しようと思い立つも、途中で怖くなって引き返した。
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