未来から回顧
本当に寒い。長袖のシャツだけでは日が暮れた後寒さがしみる。もう6月だというのに四月上旬並みの寒さが京都にある。おそらく全国でもそうだろう。今年のこの残る寒さというのはどうしたことか。
2日目の授業も終え、S先生と夕食をともにして、8時半過ぎにホテルに戻る。シャワーを浴びたままでベッドに寝転がっていたが、あまりに寒いので肌着を重ねることにした。
ワインを飲んだせいか、2時間ほどうとうした。
深夜、のそのそ起きて、このブログを書いている。
さっき見た夢は、京都で知り合った人たちがもう会えなくなっているというものだった。
この町に来る仕事も数年後にはなくなるだろう。年金暮らしの身には自弁でたびたび京都へ出向くこともあるまい。この町で5年かけて知り合った人たちと会う機会も減るにちがいない。それが寂しいなあと顎をなでる未来の私を夢に見ていたのだ。
実際、広島や長崎で知り合った人たちと出会う機会もめっきりなくなっている。同様に京都での知己との交わりも減るはずだ。その寂しさ侘しさが、じんわり沁みて、夢にみた。
大学へ来るたび、出席簿に判を教務係のデスクで押してくる。そこに中年の女性事務員の方がいて、いつの頃からか挨拶を交わすようになった。キャンパス内でも会うと頭を下げる。向こうも覚えていてくれて声をかけてくれる。名前は知らないが、私には親しい人だ。でも、大学と縁が切れれば、その人と会うこともない。いつか、何年か経って、その人も死んだよという噂を聞くこともあるかもしれない。いや、名前も知らないのだから、そんな噂も届きようがない。
敦賀のOさんもそういう付き合いというか関係だった。だから、7年前に亡くなったということも知らないままできたが、先月乳がんで50歳になるかならぬかで、他界していたのだ。そういう消息の元素のようなものが、今夜は寒気のなかに浮遊している。
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