和辻哲郎問題
梅雨の晴れ間とでも呼びたい天候となった。半分雨雲のような群雲が空低く浮かんでいる。大井川を越えた。のぞみ213号で京都へ向かっている。今回の京都の滞在では講義の合間に新緑の古都を散策もしたい。この旅ではふたつほどやりたいことがある。一つは精神医学の大家で京大名誉教授の木村敏氏に会いたいこと。もうひとつは、姫路で行われている和辻哲郎展を見学することだ。
哲学者・和辻哲郎が世を去ってから今年で50年になる。節目の年だ。彼の著作『風土』、『古寺巡礼』などは未だに根強い人気を持ち古典として高い評価も受けている。その一方で、和辻は「日本回帰」の天皇礼賛者として批判もされてきた。
和辻の名著『風土』。そこで、風土が人間に影響するということを論じた。流麗な文章に魅了されるも、これは悪しき環境決定論であると批評されたりするのも故なしとしない。どこかに独善の匂いがするのだ。80年代に入って、高橋哲哉や酒井直樹らから批判されていったことはなんとなく理解できる。東西文明に通じた文化史家として知られた和辻は晩年に至り東アジアのモンスーン地帯への思いが過度となり、ナショナリズムへ接近していったとかなり厳しく批判されることも分かる。
私のような世代の者には保守的文化人として長く敬遠するような存在であった。
とはいうものの、「古寺巡礼」などで著された美意識などにはおおいに心揺さぶられることもまた事実だ。夏目漱石や西田幾多郎らと交友してきた和辻が育んだ「心の風土」に惹かれてしまうのだ。このもやもやするものをはっきりさせたいと、和辻問題を番組化できないかと、没後五十年を節目として構想した。その手始めに、和辻のふるさと姫路で開かれている回顧展をのぞいてみたくなったのだ。
11時、列車は関が原付近を走行。それまで晴れていた空がどよんと曇ってきた。伊吹山の山頂は霧がかかっていて姿が見えない。山向こうの北陸路はどうやら雨らしい。近江の水田は田植えが終わったばかりで、早苗がはかなげに揺れている。
和辻は藤沢に住んでいた。妻の実家の一角にいたという。照夫人との熱愛は知られている。愛妻と婚約時代に交わした恋文では、和辻は自らを「おんみの哲」と記すほどで、「早くてるに逢ひたい」などという情熱的な文言が散見されるのだ。肖像写真などを見ると、気難しそうな御仁だが、ウチに熱いものをもっていたのだろうか。
「人間とは『世の中』であると共にその世の中に於ける『人』である。だからそれは単なる『人』でないと共にまた単なる『社会』でもない。ここに人間の二重性格の弁証法的統一が見られる」
と、人間の間柄ということにこだわった和辻の人間学を少しのぞいてみたいと最近思った。
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