先週の週末の出来事
澁谷の地下にあるブックファーストの帰り、地上への階段を上っているとき、急にへしこが食べたくなった。香りがしたのだ。
週末の金曜、澁谷センター街は若者と外国人で大賑わい。傍若無人の輩があちこちにいて、旧人類の私などは腹を立てどおしの帰路、そこへいずこともなくへしこの香りが漂ってきた。
こんな大都会の真ん中でへしこが臭うなんてありえない。あのアンモニア臭のへしこが大澁谷の真ん中で漂うなんて、きっと幻臭だろう。そうに決まっている。だが、なぜ、大都会の週末にそんなふるさと北陸の食材を思い浮かべたのだろう。
へしこというのは魚の糠漬けのことだ。福井、石川あたりにある郷土料理で、鰯やさば、ふぐなどを糠に塩をまぶして漬け込んで発酵させたもので、塩分の濃度が高くめっぽうショッパイ。典型的な雪国の保存食で、昔から高血圧の素といわれるほど塩分の塊である。福井ではへしこ、石川では小糠漬けと呼ばれる。炊きたての熱いごはんと最高に合う。しょっぱいへしこの身をほぐして銀シャリにのせてかき回す。はふはふしながら塩辛いへしことご飯を喉元に押し込む。しょっぱさがうま味に変わる瞬間である。このうえない多幸感が湧き起こる。
それにしても、へしこという言葉は何に由来するのだろう。なんとなく朝鮮半島から渡来したのではないかと推測をするのだが。幼い頃から、この言葉の響きは下品で貧しいと感じてきた。屁という連想のうえに「こ」には猥語のにおいがする。へ・し・こ、と並べて発音するとなんだか貧乏たらしく思えた。だから、へしこを話題にするのもなんとなく憚られた。
そのへしこが近年名産品に格上げされるようになり、駅の売店やデパートの物産展にも展示されるようになった。へしこは出世するにつれてスマートになり、塩分もかなり減少した。しかし、私は昔の魚まるごとへしこが好きである。食べ終わると、汗をかくほど塩辛いへしこがいいのだ。
こういう塩辛いものを幼いときから食べ続けてきたせいで、私はいつのまにか高血圧症になっていた。と家人は推論する。確かに塩分が好きで、何でも醤油をじゃぶじゃぶかけてしまう習性は幼児期から醸成されたものであろう。事実、若い頃から血圧は高めで、47歳のとき脳内出血を発症して倒れた。倒れたときの最高血圧は200を越えていた。
以来、我が家の食卓では塩分控えめの食生活に変わり、味噌も醤油も減塩化された。へしこなどはもっとも忌み嫌われる食材となりはて、食卓で見ることはなくなった。
倒れて10年はその食生活を守った。私だって命が惜しいから、減塩傾向の食事に馴れるように努力した。かつ降圧剤を常用するようになった。
数年前から、京都の大学で講義をしたあと、ふるさとの母の家に寄るようになった。秋の初めになれば蔵出しのへしこが母の食卓にあった。「食べたいなあ」とつぶやくと、母は「誰にも言わないで内緒にしておくから、ちょっとだけ食べてみたら」と誘惑する。一切れ食べるとこれがたまらなく美味。
いつのまにか帰郷するたびにこっそりへしこを食するようになった。
澁谷駅前のスクランブル交差点を渡りながら、母とそんな共犯意識をもったことを思い出した。母のいない今年はもうへしこを口にすることもない。じゅつないことだ。
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