走り回る喜び
昨日は3時から横浜に出かけた。上大岡に住む評論家のOさんの話を聞くためだ。Oさんは昨年キャラクターに関する新書を書いた。めっぽう面白い議論で、その詳細をたしかめたかった。
品川に出て、京急線の快速電車を待つ。ラッシュアワー前のざわざわした時間。学校を終えた高校生や主婦の顔が目につく。遅い日が差し込むフォームに立っている自分に、ふっと気がついた。ああ、こうやって取材に走り回ることができる状態まで戻ってきたのだ。
都内取材は基本的に公共交通機関を利用することにしている。山手線、地下鉄、バスだ。これを乗り継いで現場に出て、人の話を聴いてくる。これが事前取材といわれる前(まえ)リサーチだ。たいてい一人で行く。初対面が多く、最初に名刺交換をしてから、取材目的趣旨などを私のほうから切り出して説明していく。たいていは取材に快く応じてくれるが、なかにはそうではない人物もいる。著名な人に多いが、忙しいのにお前に時間を割いて会ってやるのだぞと、恩着せがましく対応する人も少なくない。そういうときは、出来るだけ下目線に徹する。「すいませんねえ、こんなテレビの番組のために、わざわざお出ましいただいて・・」なんて、歯のうくような台詞。
日頃の私を知っている人なら驚くにちがいない。短気で思い通りにならないとすぐイライラする自分勝手の塊のような性向のくせに、この卑下した態度はなんだと。
例えそう思われてもそんなことは気にならない。いい話、面白いネタを拾ってこそ意味があることであって、そこしか関心がいかないから、相手の非礼な態度、粗略な扱いなど気にならない。
ところが、取材が空振りしたときなどは、そのスタイルが崩れる。せっかく膝を折って御意見伺いますとへりくだったのに、なんだ、それだけのことしか考えていないのか、新しい情報はもっていないのかと不満がこみ上げてくる。心が波立ってくる。一応はとりつくろっていても、顔がこわばり、口調もやや荒くなる。
というようなもやもやした気分をかかえながら、帰りの電車のなかでは取材ノートを広げて、一人反省会を行う。質問の仕方が悪かったのだろうか。切り込みが浅かったのだろうか。はたまた、説明しすぎて警戒心を与えたのだろうか。軽い疲れを帯びながら、取材記録をまとめているこの時間こそ、誰にも侵されない私だけの時間だ。失敗であれ成功であれ、取材というブリコラージュ(器用仕事)が私らの仕事のやりかただ。こんなことを40年近く続けてきた。これからも続けるつもりだし続けたい。が、体力がいつまでもつだろう。大寒や酷暑の外回りは、想像以上に大きな負担となるという実感を、年々深めている。
Oさんの取材はうまくいった。彼が考えているキャラクタービジネス論は実に新鮮な着想だった。帰りに彼の旧著を2冊ほど借りてきた。これらの資料を付き合わせて、企画書をこの週末に書こうと考えた。
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