大磯からの旅
大磯発9時27分。品川到着10時10分。およそ1時間の車窓の人だ。
10年近く続けてきたが、あらためて遠距離通勤だと、本日、はるばるとたどり着いた品川のインテリジェンスビル群を見ながら思う。
京都の帰りに、敦賀まで足を伸ばすことがある。この大磯―品川とほぼ同じ所要時間となる。毎日私は小さな旅を続けてきたのだ。ふりかえればほっこりするが、当時はそれが当たり前と思った。この1時間で読書をし企画書を練り、単行本を執筆した。けっこう有意義な時間だった。
60代の坂を下っていくこれからは、どこまで可となるであろうか。
昨夜、和辻哲郎論を3本読んだ。今年は彼が没して30年になる。なにかと批判されることが多かったこの人を私は長く遠ざけてきた。一度だけ、1973年にチロル地方を旅するとき、和辻の『古寺巡礼』を鞄に入れていたことがある。このことを、久保覚に告げたとき、大正教養主義ねと鼻で笑った。ちょっと傷ついた。
90年代に入り、現代思想がナショナリズム批判を盛んに行なわれるようになり、その流れのなかで和辻の「日本回帰」は徹底的に分析され批判された。
だから和辻のことは見ないふりをしてこれまできた。同時代人で、同じドイツに留学した三木清の生きかたこそ素晴らしく、保守的な教養人でしかないと和辻を切り捨ててきた。
でも、彼の語る風土論は気になってしかたがない。ハイデガーの主張する時間論に触発されて描いた空間論という。かなり論証のあまい議論だという批判があることも知っている。だが、今日の旺盛なツーリズムを準備する議論であったような気がする。もう一つ気になる和辻の人間学的考察は、「個」としての主体性に疑念を挟んでいること。和辻は「間柄」という概念を持ち出しているということ。この議論が気になる。
彼のまわりに張り付いている「噂」におびえて近寄らなかったのだが、没後30年という節目を利用して思い切って取り組んでみようかと今迷っている。
この見直しの視点は二人の論客から借りねばならない。東大の哲学の先生熊野純彦氏と一橋大学の平子友長氏だ。この2人の著作を懸命に読み込んでいる。難しい議論を出来るだけ噛み砕いて、教育テレビのドキュメンタリーに仕上げる。これを「入堀行為」と、私は密かに呼んでいる。
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