故郷の廃家
5ヶ月ぶりに敦賀の実家に戻った。京都の大学の帰りである。京都駅を出発するときから怖かった。母が亡くなり誰も住んでいない実家に帰ること。年末以来、悲しみといえるような感情は不思議なことに湧かない日が続いていた。だから、この帰郷でその感情が堰を切ったようにあふれ出るのではないかと怖れたのだ。
午後1時過ぎ、実家に着いた。玄関に落ち葉がかなり溜まっていた。いかにも無人の家だ。引き戸を開けて玄関の式台に荷物を置いたまま、私は掃除を始めた。玄関まわりをきれいにしたかった。庭を見渡したところ雑草はない。庭木も雪折れはないようだ。思った以上に家は傷んでいない。
家に入り、母がいつもいた台所に入る。空気がよどんでいる。窓という窓をすべて開け放って風を通す。小寒いが、そんなことも言っておられない。座敷に行くと、小さな机の上に母の遺影が飾ってある。京都で買ってきただし巻き玉子を墓前に供える。母の写真のそばに父のスナップもあるので並べる。「今、もどりました」と二人向かって手を合わせる。
再びダイニングキッチンに戻る。壁に去年のカレンダーがかかっている。2009年12月の日付のままになっている。母は12月22日に死んだのだ。テーブルの上には母の使っていた茶碗や急須がそのままある。水道も蛇口をひねれば出るし、ガスも点く。なにもかも母のいたときと変わらない。母がいないだけだ。お湯を沸かした。
床の間に母の大事にしていた品物が積まれてある。アルバムだ。お茶を飲んでから、アルバムを点検することにした。アルバムに整理された写真以外にも小箱のいくつかにぎっしり古い写真が入っている。父親の兵隊時代の写真、母の女学生時代の写真、孫の幼い頃の写真。数百枚の記念写真やスナップがある。いよいよ、この家が整理されるとなると処分の対象になるだろうから、私に関する写真だけえり分けておく。
私の大学生時代の写真が出てきた。ほとんど写真は残さないのだが、海水浴に出かけた22歳の私がいる。いや、もっと古いものもアルバムのなかにはさまっている。小学校4年生のときの作文まである。一つ一つみたり読んだりしていると、あっという間に時間が経つ。ふと気がつくと、部屋は薄暗くなっていた。午後6時に近い。慌てて、近くのスーパーへ買出しに行く。とんかつ弁当と即席スープを買い込む。帰って風呂をたてた。湯船は汚れていない。15分で沸いた。
熱いお湯にざぶりと漬かる。縁までいっぱいのお湯がざざーっとこぼれる。こぼれた瞬間、どっとこらえていた熱いものがこみあげてきた。
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