定年再出発 |
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匂いガラス
あれは何だったのか分からない。ガラスの破片のようなもので、消しゴムぐらいの大きさだった。こすって匂いを嗅ぐといい香りがした。ガラスというより強化プラスティックのような手触りだった。 クラスの友だちが家から持ってきたものだと称していたから、その破片の元が何であったかは知らない。授業の始まる前の少し長い休み時間に大騒ぎしてその匂いガラスをあちこちにこすっては匂いを嗅いだ。小学4年生の頃の話だ。 ずっと後になって唐十郎脚本のテレビドラマで、匂いガラスは戦闘機の風防の破片だと語られていた。墜落した戦闘機のガラスの破片ということになっていた。その着想に驚いた。たしかにガラスのようでガラスでないその破片は特殊な、つまり戦闘用の器具と考えるにふさわしいような気がした。でも、この戦闘機説はきっと嘘だ。唐独特の語りだろう。いや、騙りにちがいない。 あの頃、昭和30年代前半には貧しい文房具しかなかった。筆箱だってプラスティックのものだけでなく鉄製のものを使っていた友もいた。私の筆箱の中にはとんぼ鉛筆のHBが3本ほど入っていた。濃く柔らかい4Bが好きだったが、芯が減るのが早いからといって買ってはもらえなかった。高校受験のとき、三菱ユニという高級な鉛筆を買ってもらうことになるが、それまではずっとちびた鉛筆ばかりだった。 ――夢をみた。匂いガラスの塊のなかに閉じ込められた夢だ。松脂に閉じ込められた昆虫のように、私は匂いガラスのなかに封じられている。窒息しそうで苦しい。突然マツダユーサクが現れて、その塊をぶっ壊してくれる。外へ出ると、ユーサクの二人の息子たちが憤然とした顔で立っている。もたもたするなと言わんばかりにシッシッと追い払われる。親の七光のガキのくせに、生意気な、と腹をたてるが、気がつくと誰もいない。 夢から覚めて、「匂いガラス」のキイワードでネット検索。すると、こんな記事が出てきた。 〈それは、ずばり!当時アクリルガラスと呼ばれていたものです。そして別名、匂いガラスです。当時の子供達はよくこれを拾って匂いをかいでよろこんでいたようです。御推察のとうり、航空機の風防に使用されていたものです。(中略)それから、匂いの原因ですが、溶剤の匂いだと思います、博物館実習で、標本をアクリル樹脂で作りましたが、いい匂いでした。〉 唐十郎が書いていたことは本当だったのだ。私らが匂いガラスに興じていた頃はまだ戦争の記憶や傷跡が日常に浸出していたのだ。 ところで、級友はあの匂いガラスをどこで手に入れたのだろう。敦賀の町は空襲にあったが、墜落した爆撃機はなかったし戦後破懐した戦闘機もなかったはずだ。名古屋あたりの軍需工場からでも持って帰った工員の仕業だろうか。そこに動員された父が息子に渡したものだろうか。 クラスにはロシアのルーブル紙幣を持っている者もいた。彼の祖父が、戦前ウラジオストックで商売をやっていて敗戦後紙切れ同然の高額ルーブルを持って帰還したのだと、その級友は語っていた。軍港ではないが、日本海交通の要衝として、敦賀はいろいろな戦争の傷をもっていた。 評論家の関川夏央は私より1つ下で新潟生まれだ。日本海育ちの彼が書く少年時代はなんとなく私と同じ色、匂いがすると常々感じている。彼がたびたび言及するローカル鉄道への思いいれは、私にも鉄道への特別な思いがあって共感する。だが、彼が進学して上京したあたりから、だんだん違和を私は感じるようになるが・・・。 それでも同世代の記録を読むと、同じ遊びをやっているなとか同じ映画に関心をもっているなと同調することが多いが、私の住む町では映画は小学生だけで行ってはならないと決められていたから駅前シリーズも日活もほとんど同時代鑑賞はできていない。関川や高平哲郎らは羨ましいぐらい映画を見ている。でも、なんとなく同時代人という気分になる。こじつけだが、蕪村の句をしみじみ思う。 わが帰る路いく筋ぞ春の草 こうして7時過ぎ退社して、渋谷駅に向かって東急本店通りを歩いて行くと、前からどこかで見た顔がやって来る。なんと、関川夏央氏だった。 来られた記念に下のランキングをクリックして行ってくれませんか
by yamato-y
| 2010-04-21 17:49
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