春の泥
一昨日は本当に冷えこんだ。桜が散ったあとの寒さとは考えられないものだった。東京でも山間部には雪が降ったということを小平の残雪を見て知った。武蔵野にある美大へ教えに行った昨日、玉川上水の遊歩道を行くと土手の日陰に雪が残っていたのだ。
上水の土手の道は見事に泥濘となっていた。どろどろである。どんなにゆっくり気をつけて歩いても泥のはねがあがる。なにせ道は舗装されていない、関東ローム層の土むきだしの道だ。晴れた日はくろぐろとしたよく肥えた地盤で気持ちがいい散歩道だが、降水があればたちまち泥の道となる。そばを流れる玉川上水もここ数日続いた雨で増水して大きな音をたてている。
久しぶりに泥の道を体験して歩くことが楽しい。あちこちに水たまりが出来ていてそこをよけて端を歩こうとすると草むらがすべりやすくなっている。私の故郷(くに)の泥とは違って土の粒子が細かい。
故郷の泥はもっと小石が混じっていて泥濘は深くなかった。関東の黒土だけの泥水はお汁粉のように細かい粒子で水分が多くよくはねる。ズボンの後ろに泥がとぶのが分かる。40年も前の高校通学時代の苦労を思い出す。当時はまだ未舗装の道が残っていた。扇状地敦賀の町を貫く笙ノ川。その土手を自転車で行くのだが、雨がふるとでこぼこの泥道はタイヤが滑りやすく往生した。片手に傘をもってハンドルをとると時々水たまりにつかまり重心が揺れた。大きな水たまりはわざと真ん中をスピードを出し両足をあげて突っ切った。水を切るという感覚がここちよかった。そんなことは忘れていた。
昨日の武蔵野は泥濘といい桜の終わりといい、春の風情があちこちにあった。玉川上水の土手道を延々歩いているうちに、泥道を気にしながら歩くのがだんだん面倒くさくなる。わざと水たまりを踏んづけたり泥のたまった汀を靴でこねたりして歩く。泥や泥水を見るとこねたくなったり跳ねたくなったりするものだ。
春の泥という芝居がクボマン(久保田万太郎)にあったことを思う。これまで汚いだけと思っていた春泥がにわかに風流にみえてきた。
美大の講義は1コマ90分だが土曜日で学生が少ないのを幸いに、延長して3時間ほど話した。さすが美大らしく学生たちはこれまでにも映像を制作した体験をもっているから、撮影の用語や編集の流れなどはよく理解している。そのうえで、プロの企画の立て方を私はみっちり話した。映画の話もした。意外に見ていないことを知り、最低500本は見なさいよと説教を垂れる。でもやみくもに見るのでなく先人が名作としたものを見るがいい。参考として『外国映画ぼくの500本』『日本映画ぼくの300本』(双葉十三郎)の2冊の文春新書を挙げておいた。それとドキュメンタリー映画もベンダースの「ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ」は絶対見逃しちゃ駄目さ、もったいないよと挑発しておいた。
夕方、バスで国分寺まで出る。そこから特別快速に乗れば新宿までわずか20分で到着する。夕暮れの中央線から見る風景は好きだ。夕焼けが大きく美しいのだ。80年代初頭、立川で仕事をしていた頃によく見ていた。外気は冷たいのだろうよく澄んで暮れなずむ空が美しかった。車窓からの風景に飽きることがなかった。なんだか昔にかえったような一日となった。
来られた記念に下のランキングをクリックして行ってくれませんか
人気blogランキング

半月前の乾いた土手の道