会い見ても 鳥雲に
いつとなくさくらが咲いて逢うてはわかれる 山頭火
今年も桜の季節が終わる。花が咲き花が散ればすぐ葉桜。慌しい世代交代。
もっとゆっくり春は行ってくれないかと懇願しても、造化の神は素知らぬ貌。
霰(あられ)も飛び込んだ山頭火の鉄鉢に、この時期には夥しい桜の花びらが舞い込んできたことだろう。彼が歩き回った中国地方。戦争が始まる前の、まだ少し安らぎがあった時代の句だと伝わる。
夕暮れとなった。春の夕暮れは物憂い。職場の窓から見下ろす通りも人影が少ない。
風が出てきた。街灯にとりつけられた旗がぱたぱたと揺れている。
有島武郎の「ちいさきものへ」の冒頭。《お前たちが大きくなって、一人前の人間に育ったとき、――そのときまでお前たちのパパは生きているかいないか、それは分からない事だが――》なんと感傷的な台詞か。ぬるい。
と分かっていても、春の夕暮れに読むに相応しい一文だと言張りたい。なにかと評判の悪い有島武郎だが、私はこの人の言葉遣いが好きだ。
井上ひさしさんが亡くなった。去年、肺がんを公表したときから危ぶんでいたが、とうとう逝った。1988年に井上さんの故郷川西町へ、シリーズ授業の収録で同行したときからお付き合いが始った。といっても、それほど回数を重ねたわけではないが、何かと助力をいただくことが、その後もあった。北野武さんとの対談も楽しい仕事だった。同じ浅草育ちということで二人は会ったのだが、タケシさんの含羞には驚いた。饒舌な井上さんと攻守ところを変えた対談となったことが懐かしい。
井上さんの原稿が遅いことは有名だった。われわれの世界でも原稿の締め切りが遅い人はいくらもいる。でも最終的には間に合うというのがジョーシキだが、井上さんの場合本当にアウトになってしまう。新聞記事になることも一再ならずあった。あの真面目な井上さんはどんなに苦しんだか、追い詰められたか。想像するだに胸苦しくなる。自分の性向を自認して、遅筆堂という号を名乗っていた。その井上さんが死去したとき、頬一面にひげが生えていて、さぞ苦しい闘病だったにちがいないと、誰かが追悼で記していた。そのことが心に残った。季語で、「鳥に雲に入る」というのがある。春先、渡りが古巣をめざして帰っていくさまだ。
鳥雲に入る遅筆氏の不精ひげ
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