ツレ
老後にツレは必要だということは自明だが、どんな人物がいいのだろう。
ゴルフも将棋も麻雀もやらない私などは、いかなる共同体とも少しずつずれてしまう。
私たちの世代は高度成長期に地方から吸い上げられるようにして都市へ来た。根無し草だから地縁は薄い。かといって今さら故郷へ帰っても出掛ける場所もなくなり出て行く気力も減り知人も年年減少しており、おそらく実家から出ることなく客間か仏間の広々とした畳の上でゴロゴロするだけだろう。
一人好きのさみしがりや、これは厄介な性格だ。群れて遊ぶのはそれほど好きではないが、一人ぼっちで居続けることもできない。適当に放っておいてくれて、適当に交わるという関係ってないものだろうか。
亡父はべったりした人間関係を嫌った人だった。できるだけ、つかず離れずでいることが一番いい関係だと、ことある毎に語っていた。彼の理想は淡交だった。中庸という言葉も好きだった。ほどほどに付き合うということだ。
幼少の頃、よほど酷い目にあったらしく、家族以外の他人に対して警戒心が強く注意深く接していた。
そういう中途半端なことが嫌いな私は、父のことを内心バカにしていたフシもある。
だが、還暦をむかえて、父が語っていたことも一理あると思い始めている。
なにより、親密さが度を越してべったりすることは、かえって崩壊しやすいということを60年の人生で学んできた。
年齢(とし)をとってからの友人というのは出来にくいものだ。気難しいと思われた中野孝次は晩年の交友が充実している。調べると、旧制高校時代の友人たちだ。やはり若い時代に育んだ情というのは強い絆になるものだ。
これとて、近場にいることが条件だ。身の回り近くにあって細くとも長い付き合いが続いてこそトモガキは育つ。どれほど若い時代に親友関係であっても、会えなくなって30年40年の友というのはやはり他人になる。同窓会へ行っても40年ぶりに会う人は懐かしいがそれ以上のものではない。
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