ハウちゃん
ハウちゃんは京都大学の大学院で学んでいる、ベトナム難民の2世だ。彼女は父母たちが逃げてきたこの日本で生まれた。国籍がない。
彼女が学ぶキャンパスで、カメラは不躾に「ハウちゃんは何人ですか」と問う。イタズラっぽく彼女は「えーっ」と驚きながら、その質問は受け付けないですと拒絶する。なぜと重ねて問うと「自分自身にそれを問うことを止めたから、意味ないと思う」と答える。20代のどこにでもいる女性の真意を見せないはぐらかした言い方だ。
だが、ぽろっと一言もらす。「無国籍を共有してくれる人がいなくて、ずっと孤独でした」
彼女の両親が住む栃木県那須烏山。ハウちゃんは帰省していく。一戸建ての立派な家に父と母は住んでいた。12年ほど前に中古を購入。そうするために爪に灯をともして必死で働いたと母は証言する。だが、不況のため、父は突然リストラされ、母も仕事がない。厳しい情況にあっても、父母は笑みを絶やさない。
ベトナムをなぜ出たかと、父に問うことをハウちゃんは好まない。父は、「こどもの将来と自由のため」と答えるに決まっている。父の自由という言葉がハウちゃんにはひっかかる。その自由は、今どこにあるのか。ベトナムを出てやってきたこの日本にその自由はあったのか――
前橋にあるベトナム難民の有志が住むあかつきの村。元は100人ほどの難民が住んでいたがそれぞれ独立して出て行った。その後、日本社会のなかで傷ついた人たちが舞い戻って住んでいる。言葉の問題、重労働、人間関係などで心を病むに至った人たちだ。ハウちゃんは18歳のときからここに通って、村人たちとも顔なじみだ。そのひとりドクさんは新潟の鉄工場で自動車部品を作っていたが、心を病んで村に帰ってきた。病んだ人たちはもの静かで、心優しい人たちだということが画面のうえからも伝わってくる。その人たちとハウちゃんは久闊を叙しながら、ハウちゃんはその人たちを思いやる。その人たちを見るハウちゃんの眼差しは悲しくも優しい。
このリポートの最後に、カメラは再びハウちゃんに質問する。「あなたにとって無国籍って何ですか」質問に直接ハウちゃんは答えず、「これからも、今までどおり生きていきます」口調が強い。
「無国籍のままで?どうして」「国籍が与えられなかったから」カメラを見据えるようにしてハウちゃんは言葉を発する。「今私にあるものが大事。この村もそのひとつ」
そのインタビューの最中に、ドクさんがそっとやって来て苺を差し入れする。ハウちゃんは逆にカメラに「この施設へ来てどう思いましたか」と問い返す。「苺をくれる優しい人たち」とカメラの傍のディレクターは答えた。
「なぜ、そういう(優しい)人たちに社会に居場所がないのですか。なんで社会が受け入れてくれないのか腹が立ちます」と振り絞るようにハウちゃんは語りながら、大粒の泪をぽろっとこぼす。それを振り切るように、ハウちゃんは「でもここが私の居場所。だから国籍などなくっていい。大切な居場所がいっぱいあるから」
華奢で穏やかなハウちゃんが、悲しみに顔を歪める。その怒りのような悲しみが、私の胸深く刺さった。
海老坂武の文章を立ち読み。モンテーニュは30代40代とずっと死にこだわっていた。だが50代になってからは、死のことを考えるのでなく、今生きていることを考えたほうがいいと考えるようになったというエピソードを海老坂は記している。このエピソードがハウちゃんの悲しみの怒りと私のなかで響きあう。
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