澄明な心持で
朝早く家を出て歯科に向かう。長年放置しておいた奥歯がついに倒れた。どうやら、胃の手術にともなって悪いところが吹き出てきたのだろうと、胃の主治医は語った。その旨伝えて歯科医にかかる。同様の見立てを歯科医もした。次々に出てくる病。積年の怠惰が重なって吹き出てきたのだろう。
冷たい朝の寒気を頬で受けながら、私は前を見据えて歩いた。誰を恨むわけにもいかない。すべて身から出た錆。自分が為すところを為しただけだ。
昨夜、ETV特集の改ざん事件の顛末を記した冊子を読んだ。仲間の苦しむ様子がそこに描かれていて胸がつまった。穏やかな彼が声を荒げて「こんなことでいいのだろうか」と周囲に問うたという場面に思わず落涙。この事件は喉深く突き刺さる小骨のようにして、私の身体のなかにある。
一方、先年依願で辞職した人が書いた“小説”も読んだ。先の事件と同じ頃に起こった出来事が、その職を辞した人の目で捉えられている。傍目から私が聞いていた話とは違う物語を彼は紡いでおり、それは自己愛のつよいもので、私にはどうも共感しえない。彼はなぜこの物語を書こうとしたのか、その底意が気になる。
奇しくも、定年まで待たずに辞めていった仲間の物語を2つ目にすることとなった。
二人とも番組の名手であった。深い洞察、粘り強い取材、構築する物語、すべての面で一級品を作り続けた人たちであった。二人とも今は現場にいない。ロケをすることもなく、ポストイットを並べ替えることもなく、コメントをうつこともなく、別の人生を生きている。
それが不思議でならない。番組を作る、という劇薬にして媚薬を手にしたものが、どうやってその嗜好から逃れることができるのだろうか。むろん、彼らが望んでそうしたわけでなく、そういう場に追いやられたということではあるが。
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