時の早さ
このブログを始めた頃に知り合った人から久しぶりにコメントが入った。3年ぶりにここを覗いてくれたらしい。その3年間にいろいろあったらしい。再婚、離婚、引越しと激動が続いたあと、去年一年間は引きこもる状態におちいったので、ネットをサーフィンする気力もなかったという。やっと、精神が落ち着いて、久しぶりに私のところへ寄ったところ、私が昨年末からのドタバタで手術を受けたらしいと知って、「元気ですか」と声をかけてくれたようだ。
激動は私にもあって、この半月は精神的というより肉体的に凄まじい打撃を受けた。とにかく食べられない状態が続いた。食欲がない。放っておくと1週間も食べずにいた。ただ水を飲むだけ。主観的には食べたくないから空腹感もない。だんだん身体が重くなり、身体のあちこちに「柵」が次々に出来ていく。身体が少しずつ狭まっていく。柵はときどき傷みとなる。頭蓋骨が重く感じられるようになった。じっとしていると、頭が垂れてくる。首で支えるのがシンドイ。机に向かうと頭から落ちて行く。とにかく身体がダルイというか寒気がする。ぞくぞくするような強いものでなく、身体の端々から悪寒が立ち上がってくるような鈍いものだ。ふらふらと澁谷を徘徊すること20分。山手線渋谷駅にたどり着くのもやっとだ。後で分かったのだが、何も食べていなければこれほど衰弱するのは当然だ。
少しだけ気力が生まれたとき、3年ぶりの人のこのコメントを読んだ。
その人も、この3年間深いアナに落ち込んだような人生を送ったらしい。ふと気がつくと3年経っていたという。
私もこのブログのあしかけ4年を思った。2000近くの記事を書きながら、あれこれあった3年間と振り返ってみたら、その時間は長いかなあと思っていたが、振り返ったらそれほど長くなかった。つい昨日のような3年前がそこにあった。出来事は溶解するのか時間が経つのが早い。
こうして、私は2010年という一年を3ヶ月ぐらいの感覚で終えていき、2012年の63歳なんて日はすぐにやって来ることになるのだろう。そこまで、今の時間の流れの早さで流れていくのかと思うといたたまれない。
母が死んだということは、私のなかの何かがぷつんと切れた気がしている。何も気兼ねすることなどない。係累、祖先、しがらみ、すべて自分が拒否すればできる立場と年齢に立っている。
62年間使用してきた、この身体もそろそろ耐用年数が来ているようだ。胃にしろ、血圧にしろ、歯にしろ、賦活して蒔き直しする以外に方法もなくなっている。
3年ぶりの人よ。あなたはもう一度立ち上がって歩いていけそうだとコメントしている。そうだといいな。まだ若いのだから。
今朝、沈丁花の花をむしりとった。寒のなか、少しも匂わないことに苛立って、花弁を摘んで鞄に入れた。今、そのことを思い出して花を取り出して、匂いをかいだ。うっすらと匂う。春ではない、冬の匂いだ。
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