戦友小説
伊藤桂一という作家は大衆小説作家としか知らず未読であった。ただ、「静かなノモンハン」や「遥かなインパール」という“戦争文学”も表しているという点が不思議だなと思っていた。講談社文芸文庫に「蛍の河」という著作集をみつけた。著者の体験をもとにした小説と解説にはある。
中国戦線で、主人公は幼馴染安野と偶然出会う。彼の上官で小隊長という立場での再会であったが、これまで実戦を体験しておらず、古参の兵である主人公を頼りにしている。半年後、田園地帯でクリーク掃討作戦を展開することになる。深夜、3艘の船に分乗して敵地深くクリークへ入っていく。すると、そこだけ、蛍が異常発生して群舞するエリアを船はゆっくり進む。著者は身体に弾筒をまきつけて船端に腰をかけているが、幻のような光景を見ているうちに睡魔が襲ってくる。そして気がついたら河のなかに落ちていた。付けていた弾筒は河底に着えた。出てこなければ小隊の責任が問われる。だが、安野はけっして興奮することなく探索を続け、ついに発見に至り、大事を免れることになった、という戦友小説である。
最後に安野は転属となり、船に乗って去っていく。最後の段落が美しい。
《河の曲り角で、人の形が小さくなってしまうまで、彼はこちらを向いて、少年のように手を振りつづけていた――。》
中国南部を侵略した日本軍といえば、まるで鬼畜のように三光作戦を行ったということばかりが強調されるが、兵隊として日常(内務班)には、新兵、古参兵を越えていつのまにかトモガキが形成されたこともあったにちがいない。周囲が見えない敵ばかりに囲まれている情況では、いきおい内につよく結びつくことになったのだろう。
これまで、戦記ものといえば、大岡昇平の『野火』、富士正晴の『帝国軍隊学習・序』結城昌治『戦旗はためく下に』のような軍の残虐性を主題にしたものか有馬頼義の「兵隊やくざ」のような荒唐無稽ものしか知らなかったから、この伊藤桂一の短編作品集にはちょっと新鮮だった。(これは、自分の浅学菲才を白状するようなものだが、事実だから仕方がない)
今になって、ようやく父が戦友会へいそいそ出かけていくことが少し分かったような気がする。60年代後半、ベトナム反戦運動が盛んだった頃、私は父に戦争加害責任をどう考えるのかと迫ったことがある。「うるさい、おまえなんかに分かるか」といって席を蹴って出て行った父を思い出す。父が死んで10年ほど例会の通知が来ていたが、数年前に会員が高齢化したので解散すると報告があった。母は父の一番の戦友を知っていたらしいが、その母も亡くなり所在は不明となった。なんでも、鳥取のほうで農業を営んでいると聞いたのだが。
たしかに、伊藤の文章は精緻でふくらみがあって美しい。読後に残るものがあるが、これは果たして実際に起こったことだけで書かれているであろうか。ないしは、不都合なことは排除していないだろうか。それは小説としては表現という地点に立てば当然のことだ。しかも、体験当時の伊藤は実際の戦闘も体験している26歳の古参の兵であったならば。
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